非電化工房の井戸掘りWS(ワークショップ)に参加した。今年の参加者は40人(去年は60)で、菜花の庄 という農園民宿の敷地内で行われた。非電化工房でも井戸掘りWSはできるが、水が出ても使うわけではない。実際に井戸を掘って使いたい、という参加者さんの場所で、WSが開催された。
京都から10時集合には間に合わないので、例によって非電化工房に前泊する。
朝WS会場へ向かう途中、藤村先生がコンビニでおにぎりを買ってくれた。一番に私に選ぶよう勧めるので「先に(住み込み弟子で苦労している)ユウガくんが」と辞退すると、「恵さんがユウガくんにアピールしてるぞ」と冗談を言う。先生はご高齢で休息される時間が長くなっているが、イエローカード発言がでるようならまだ大丈夫だ。
井戸の掘り方には色々ある。非電化工房では、安い・少人数・腕力はいらない、という方式で掘る。掘る場所は、古井戸の形跡・地形などから決める。数時間で水が出ることもあれば なかなか出ないこともある。早めに諦めて場所を変えるのも大事。愛農学園で先生をしていた自然農仲間は、日ごろから、水が染み出ている箇所がないか目をこらしておくらしい。
WSの後は「菜花の庄」に泊まった。一緒に宿泊する参加者さん・宿のオーナーさん・住み込み弟子エリさんと晩御飯&銭湯へ行った。楽しかった。
<上/左>中央で背中をみせている男性が藤村先生。右下に井戸を掘る穴が。 <下/右>住み込み弟子エリさん、先生の助手ジュンペイさん
翌日は栃木県から福島県南相馬市へ。非電化工房の住み込み弟子だったコウヘイくんを訪ねた。JR東北本線で北上し、JR福島駅で降りる。そこからバスで川俣町・飯舘村を経由して、JR常磐線の原ノ町駅へ出た。
福島駅がちょうど昼食時だったが、都会は嫌いなので、川俣町の道の駅「シルクピア」でバスを降りて昼食にした。敷地内に「おりもの展示館」という別館があり、時間つぶしに覗いてたまげた。江戸・明治・大正期の希少な織機が並んでいた。
移動中ずっと気になっていたのだが、みな標準語だ。言葉という文化を受け継いでいないということは、暮らし方にまつわる文化も受け継いでいないのだ。なまってたのはシルクピアで食事していた老夫婦、野菜売り場のおばちゃんくらいだった。旅人としては「よく意味がわかんねー」って方が楽しい。言葉は強力な観光資源では。
JR原ノ町駅の駅前がぴかぴかでビックリ。震災復興の助成金だろうか。それなのに時刻表が1時間に1本以下でまたビックリ。大阪も京都も井手町も、日本中どこもかしこもそうだが、ひとにぎりの密集地を除けば、立派なコンクリートの道路・建物があって人影がない。
<上/左>おりもの展示館ならぬ、おりき展示館。 <下/右>JR原ノ町駅の駅前。左の白い柱が建っているところが駅
JR原ノ町駅から2駅の、小高駅すぐの双葉屋旅館に泊まった。思いのほか部屋数が多く、食事は、食堂に食べにいく方式だった。外に食べにいくほうが面白いことに出会えるかなと思い素泊まりにしたが、ごはん付きにしても良かったかもしれない。
小高地区は人口3千人くらいで、私の井手町井手地区と規模がちかい。けれど平野部に家々が広がっていて、坂が多く家が密集している井手地区とは随分雰囲気が違う。ひとくちに田舎といっても、その土地の地形や交通の便は様々。地域を活性化したければ、その場所に合った方法を考えるしかない。畑で自然農法をやるときと一緒だ。
双葉屋旅館には気合の入ったチラシや書籍がたくさん置いてあった。観光的なものはわずか、ボトムアップの地域振興や原発関連がほとんど。覚悟の深さが違うな、と自分の身の回りの活動と比べて、感じた。
原発事故当時「花粉と同じようなもの。外から帰ったら上着のホコリをはらって、しばらくしまっておけば大丈夫」と報道したメディアがあったとか。ひどすぎる。
甲状腺がんの子供たちの裁判で、子供ら自身がしゃべった意見陳述をのせた冊子もあった。この裁判はまだ続いている。10代の甲状腺がん発症率をかんがみると、特定地域に何人もいるなどありえないのに、被告である東京電力は因果関係はないと主張。原告を消耗させるために何年もひっぱる。ひどすぎる。
長渕剛が作曲した校歌の学校は小高地区にあった。作家 柳美里さんの本屋 フルハウス が近くにあるらしいのも見つけた。通りかかって何だろうこの場所?と思ったところだ。残念ながらオープン時間には行けそうになかった。
「おれたちの伝承館」というひときわ力強いチラシに目が留まり、行ってみたかったが、開館時間を見るとムリだった。
翌朝の小高(おだか)駅と、双葉屋旅館
翌朝コウヘイさんが迎えにきてくれた。駅前から車で10-15分だろうか、コウヘイ家は山際の少し手前にあった。
藤村先生にしごかれまくる激動の一年のあと、自分のフィールドに帰って孤独になっていないか。少し心配していた。けれど全くの杞憂だった。コウヘイさんはのびのびと、たんたんと、やりたいことをしていた。
田んぼは、数畝単位で20人ほどで使っていたところが、1枚の田んぼにされてしまい、農業法人だかに貸してる状態だそう。車で通り過ぎるとき、あそこだと教えてくれた。
また山(雑木)は、少し離れたところにあって、まだ手付かずだという。原発事故の影響について尋ねてみたが、地面に近いものを採集するのでなければ問題ない線量らしい。藤村先生がわざわざ計りにきてくれたそうだ。
家の前と裏に畑があった。全部で3反くらいだろうか。26品種の水稲が植えてあった。稲刈りに入ったところらしく、はざかけが始まっていた。
等間隔に並んでいるが全て手植え。やってみたら分かるが、竿や水糸を使っても真っすぐ植えるのはなかなか難しい。雑草の少なさにもコウヘイさんの性格がしのばれた。
稲刈りの時期、田んぼの水は抜く。稲の成長は終わっているし、稲刈り作業に水はジャマだし、はざかけから稲穂が落ちたら濡れてしまう。
夏のあいだは当然水を入れていたのだろうと思い、どうやって入れて(溜めて)いたのか質問すると、毎日ホースでじゃーじゃーあげてただけ、という。コウヘイ家では上水道は来ておらず井戸水を使っていて、お風呂の残り湯を翌日ホースで撒いていたらしい。
今年の稲は主に種籾用。来年以降、品種も、種のおろし方、育て方も、もっと色々試したいらしい。水稲だけでなく雑穀類やソバも育てている。それらもさらに増やしたいとか。最終的には品種も農法も絞り込むのだろうが、今は色々やってみるのが楽しくてしかたないようだ。
うちには川口由一さんが固定したタイ米がある。(固定した=土地の環境に合うよう何年も自家採取をした) 福島県は奈良・京都と比べて大分寒いのではないか、乾いてるのではないかと思ったが、そうでもない。京都府井手町では最低気温が10度を切る日が2度あったが、南相馬市ではまだという。タイ米も育つかもしれない。
刈り入れの作業を手伝う。株ごとではなく、実った穂から切ってゆく。多年草化しやすくするため、株は長めに残す。
これまで稲についているところを見た記憶があまりない稲玉(稲霊)もあった。稲玉は、味噌や酒づくりの麹菌として使う。慣行農法では病気と見なされている。
最近は米麹や麹菌を買って、味噌などの保存食を作る人もいる。けれど販売されている麹・麹菌は人工的に培養したもので、菌叢が単一的だ。2020年のウィルスが猛威をふるったのも、世界的にみな同じものを食べていて、人体の菌叢が似通っているからではないか。
コウヘイさんは裏作にムギもしたいようだが、種おろし期との兼ね合いがある。今年は直播きしたようだが、麦を育ててしまうと直播きはできない。稲の種おろしは4月ごろ、麦の収穫は梅雨入り前。トレーなどに育苗して、苗を植えなおす方式でないと、裏作に麦は作れない。
雑草があった方が縛りやすく稲がすべり落ちない、けれど唐箕(とうみ)の作業は増える。株間が狭いと、株が太るのに抑制がかかる。5年ほど自然農で田んぼをやった経験を元に、そんな話もした。
天日干しの杭と竿は祖父母の家からもらってきたもの。足踏み脱穀機も唐箕も保管状態がとてもよい。脱穀機も唐箕も使うたび稲くずまみれになるので、種籾を取るていどの少量には向かないから、千歯こきの自作も考えているそうだ。
車での来やすさ、敷地や倉庫・母屋の広さ、道具類、コウヘイさんの人柄。近隣に自然農法をやりたい若者がいたら、引き寄せられてくるのでは。
昼ごはんどきになり母屋にあがって一服。渾身の手土産※を携えていったのだが、それを渡すと、予期せぬオダカ銘菓・加工品の数々が返ってきた。
※京都銘菓の阿舎利餅、銘木カフェ志木の格子煎餅、MINORI工房の玄米菓子、ぬっかぼっこの酵素入浴剤。井手町から行くのにコレ以上のラインナップは考えられない。
食事もコウヘイさんが考えた品々でもてなしてくれた。非電化工房じこみのスパイスカレーは、これまで訪れた友人たちに合わせた改良がされていた。炊き込みごはんには雑穀とジャガ芋が入っており、米味噌と麦味噌で味に深みが出ている。サラダのゆで卵は黄身が大きかった。烏骨鶏の特徴らしい。
烏骨鶏はオス5羽、メス12羽。一代目は孵卵器でかえしたが、次世代からは母鳥が托卵・子育てしたそうだ。そのため二代目からはあまり人なれしていないという。オス5羽というのは不思議な数だが、何匹かもらわれていって今の比率になったとか。卵をいただくだけのペットなのだそうだ。(一般的に家庭菜園ならぬ家庭養鶏では、オスは1-2羽)
私が鶏舎に近づくとみな逃げてゆく。その中でひときわ大きなオスが寄ってきて、しきりと地面の雑草を食いちぎっている。
「威嚇してるんです」とコウヘイさんが言う。威嚇?この可愛い動作が?
「草を食いちぎったり、棒を地面に叩きつけたりして、俺は強いんだ!と誇示してるんです」。よく観察すると時々上目づかいでこちらを見る。ガンをつけているのか? どう見ても可愛い。
私が離れてコウヘイさんが近づくと、ネットごしに飛びかかろうとする。甘えているのか? 戦いを挑もうとしてるように見える。そっちの方が初対面のニンゲンには怖い。さっきのは可愛いすぎるよ、と私に鳥語がしゃべれたら教えてあげたい。
夕刻になり小雨が降ってきた。京都を発つまえの天気予報では、今日は雨のはずだったが、夕方までもってくれた。宿までコウヘイさんに送ってもらった。

中央奥に立っているのがコウヘイさん。背後にハザカケが。右端にみえるのが倉庫と母屋。建物の表(右)に道路があり、道路の反対側にも畑がある。左の濃青のブロッコリーはよその畑だが、その奥の稲はコウヘイさんの。
双葉屋旅館の周辺を散策したあと、晩御飯は南相馬バーガーを食べた。パテがかなり美味しかった。南相馬の牛でも使ってるのだろうか?と思ったらそうではなくて、パテの作り方と全体の味付けにこだわりがあるようだ。もちろん味付けもよかった。
部屋で本を読んでいたら なぜだかビールが飲みたくなった。(普段まったく飲まないのに) 食堂で買えるかな?と思って覗いたら、おっちゃん2人と女性が飲んでいた。350mlの缶ビールを持ち帰るつもりだったが、ヘベレケになったおっちゃんが「コップ!」と叫んでコップが出てきたので、横に座って飲むことになった。
おっちゃんは、どっから来た?いつ帰る?と聞いてくる。「おれたちの伝承館」を見ていかんか?と言う。明日8:55の電車で帰ると知ると、8時に見にいこう!と。作品の修繕などで関係者が数ヶ月に1度集まるそうで、丁度そのタイミングに居合わせたのだ。
翌朝8時前に食堂へゆくと、ヘベレケだったおっちゃんはビシッとしてコーヒーを飲んでいた。
おっちゃんは福島市(震災前は浪江町)から来ていたが、伝承館の関係者には遠方からの人も多い様子。本当は9時集合だったらしいが、私という来館者が突然あらわれたため、何人かが早めに来ていた。
昨夜食堂にいた女性は福井県から作品の手直しにやってきた。彼女はコウゾの和紙で餓死した牛のオブジェを展示していた。そこには牛たちが生き延びようと齧った木の柱も使われていた。

鉛筆で書かれた小高地域。北側から俯瞰していて、左手が海。コウヘイさんの家はどの辺りだろう。












