5/1(金)
ヤギが可愛くてしかたない日々。けれどヤギはツンデレな生き物で、私のことを好いてくれているのかな?と不安になるときもある。

ニンゲンはもっと不安だ。どんなに大切にしあっている友人でも家族でも、本当に自分のこと好きなのかな?と不安を感じることは誰でもある。ペット達が必要とされ溺愛されるのは、そうした不安がなく、自分を愛してくれると信じられるからだろう。

最近大西商店でナスとピーマンの苗を2つづつ買った。庭の環境にならすため、ポットのまま植える場所に半分埋めるようにして置いてある。時間のあるときは見にいって、日差しの当たり具合、風の強さ、雨のかかり具合を調整し、少しづつ2鉢の距離を放してゆく。そうして気づいた。彼らは私を待っている。私に大切にされていると信じている。んじゃないかと思う。そこに不安はない。

交わせるコミュニケーションが高度で濃密な(情報量が多い)ほど不安が大きく、コミュニケーションが交わせない相手ほど不安がない。これいかに?

狩猟採集から農耕牧畜への転換が、人類滅亡への始まりとする説がある。土地への過剰な搾取がされるようになるからだ。古代文明もそうして滅びた。今わたしたちが古代文明のように滅びないのは、移動手段があるから。疲弊した土地を捨て、豊かな土地へ次々と手をつけて暮らしているからだ。自分で直接は手をくださないが、グローバル企業がそうして生産した物資を、私たちは使っている。
発展途上国で学校などを作る活動をしている人が、ある国で、畑を耕すと作物がたくさん獲れるようになることを教えたら、こう返されたそうだ。「知ってる。けれど私たちはしない。未来の蓄えを奪うことになるから」

鉄(と、その後に続くメタル類)が、滅亡への転換点との説もある。生産性が跳ね上がることから資源を採掘しすぎてしまうのだ。「富を蓄積したい」と思うのは、生物として自然な欲望で、誰にでもあるのだけど、ゆきすぎると自分の首をしめてしまう。
リスは越冬のためドングリ類を土に埋める(それも発芽するのに丁度よい深さに)が、神様がリスを少しおバカさんに作ったため、何割かは忘れるのだという。それがリスを増やしすぎず、ドングリを発芽させる。
「銃・病原菌・鉄」という有名な本がある。中世のヨーロッパ人が世界を席巻した理由をあげた内容だ。鉄がなければ銃は作れない。鉄は、体からマイナス電子を奪い、免疫力を落とすため、感染症にかかりやすくなる。そういう意味で題名は「鉄」でもいいくらいだ。

また情報量が多すぎると人は壊れてゆく。そうえると身の回りで起きていることが説明できる。と思った。というわけで私が本を出すなら「定住・鉄・情報量」だな。

病院へむかうヤギ。なんておだやかな表情。車でどこかへ連れて行かれるというのに、私たちを信頼しきっている。

5/12(火)
ヤギが、木津川市の動物病院で予防接種を受けた。テラさんが自分の車をヤギ仕様にしたてて運転手、里親の父ちゃんが後部座席を倒してヤギと一緒に乗り込んで保定。おしっこをしまくったそうだけど、ちゃんと尿シートの上にして、概ねお利口さんだったとのこと。先生に毛並みがきれいになったと褒められ、体重は23kg。2月の測定から3ヶ月で倍以上の重さになった!

この日わたしは京都市内で用事があって、ついでに「うさと」直営店 で服を買ってきた。布地がすてきで着ごこちのいい大好きな服。変わったカタチの服が多いため、店に足を運んでも手ぶらで帰ることがあるが、今回は豊作?だった。
タイやラオス奥地のいくつかの村で、分業により作られている。植物から糸をつむぎ、自然素材で染め、布地におり、服に縫う。値段は高めだが、25年前に初めて買った服もまだ着ている。

うさとを立ち上げたデザイナーのうさぶろうさんは最初、自然素材の糸で織った布地は日本のどこかにあるはずだと探したが、納得できるものにであえなかったそう。
タイ・ラオスの村の女性たちによる糸の染色、織の模様に、うさぶろうさんは口を出さないらしい。その方が良いものができるから、と。自分の身におきかえてみると分かる。「こういう模様に織って」と決められているより、「どんな模様にしようかな」と自分で考える方が楽しくてわくわくする。結果すてきなものができあがる。

できあがった布地はすべて買い取り。これもすごい。だからうさとの倉庫には、日本人の好みにあいそうにないなあ・・という布地の在庫が積みあがっているそうだが、それでもすべて買い取るそうだ。「こういう模様は日本では受けないの!作っちゃダメ」とは言わないが、日本人の好みはやんわりと伝えているようである。(うさぶろーさんの本があるので読みたい人は言ってください)

5/17(日)
テラさんの車で真砂土18kgを運んでもらい、ヤギの糞尿とともに土を削ってしまったところへ補充。そこへ木屑をかぶせ、枯葉をかぶせ、敷材とする。梅雨までにもう1回くらい行う必要がありそうだ。どうやって梅雨と猛暑の季節を乗りきるか。みんなで手探りしている。

今日は群れのメンバーが全員集合したのでヤギは嬉しそうだった。少し離れたところでテラさんと散歩しているヤギに、「おいで」と声をかけると、こっちに向かって来た。テラさんが驚いていた。またヤギの糞尿を掘っているとき、彼が入ってこようとしたので「まだダメ」と言ったら、くるりと向きを変えた。だんだん人間になってきている。

あるとき里親の母ちゃんがヤギを散歩させていると、畑をしていたジジが話しかけてきたそうだ。「それは、あの山にいたヤギか? 雨の日も雪の日もあんな場所で、かわいそうに」「げっそりと瘦せ細ってた子やな?」 ジジは更に、怒ったようにこう言ったそうだ。「あんたは何故そのヤギを助けたんだ?」「乳も出ないのに(=何の得もないのに)」。

母ちゃんはジジが何を言っているのか、なぜ怒っているのか、分からなくてとまどったそうだ。けれど私には分かる気がした。ジジは「Aに利益をもたらさないBは、Aから愛されることはない」という社会通念に怒りを感じているのではないか。長く生きていれば誰でも、Bの立場に立たされる経験があるだろう。親子関係がそうであれば、人生の初期に遭遇する。税金を多く払ったり賄賂を渡したり天下りを受け入れたりしなければ、公的組織からも大切にされない。

いま世の中は なになにファーストとのたまって、「A国を利さないB国は、A国から大事にされない」というルールが強まっている。互いを大切にできない生物は、遠からず滅びるだろう。

ドッグランで遊ぶウサギ。遠くで走ってるのは あられ。写真は (左)ハッピーと (右)長助。暑いのでベンチの下に入ってしまった。

5/24(日)
奈良の動物保護団体へボランティアに行った。犬猫だけでなく、ウサギ、モルモット、セキセイインコ・オカメインコ・オウム、鶏・鳩、カメ大小・トカゲなどなどが居る。それぞれお世話が違っていてたーいへん。収容キャパ数もいつもぎりぎりだ。

小型犬と猫は、レスキューされてくる子も多いが、引き取られてゆく子も多い。そのため、行くたびに顔ぶれが変わっている。私はまず小型犬のいる離れへ行き、余裕があれば母屋1階の小動物(犬猫以外を総称してそう呼ぶ)へ移動する。今日はブルドック系3匹が減っていて(おめでとう!)、ダックス2匹が増えていた。
ダックス2匹は警戒心強めでよく吠える。かわいがられていなかったんだね。ダックスの前に来た雑種2匹が、警戒心ゼロで、遊んでー遊んでーと体当たりしてくる。だいたい全部で7-8匹で、1匹づつでお散歩、ケージの掃除、水と餌の交換、チェックシート記入と、1人でやると2-3時間かかる。

大型犬のメンツはなかなか変わらない。噛み癖がある子たちばかりが残っている。危険も伴うので、ほかの動物たちとは接触しない出入口からお世話されている。対する人間側もメンバーが決まっており、ベテランの風格ただよう人達ばかりだ。小型犬と同じくらいの頭数を、2人以上で担当する。

8時半から働いて小型犬が終わったので、母屋の1階へ行く。こちらでは2人で多種多様な動物相手に奮闘中だ。鶏のお世話を初めて教えてもらった。メス2羽、オス10羽。鶏のオスは1つの群れに1羽なので、全員をいっせいに出すとケンカが始まる。そのなかでも比較的争いごとのおこらないメンツ同士があって、赤チーム3羽、黄チーム2羽、緑チーム2羽、あとの3匹は1羽づつカゴから出す。
まずカゴの扉をあけ、勝手口から鶏専用の裏庭へ出てもらう。自分でも歩いて行くし、抱っこしてってもいい。掃除と餌水の交換をしたら、呼びにいき帰ってきてもらう。これもかなりの確率で自分で歩いてくれる。メスは今日も卵を産んだ。
鶏のオスは、大型犬同様、全然もらわれていかない。けして飼いにくいことはないのだが、問題は鳴き声だ。1羽くらい引き取れないかと思い「大声を出さない子はいませんか?」と聞いたが、「全員元気よく鳴いている」そうだ。

そのあとベテランさんと、ウサギをドッグランに連れて行った。ウサギのお世話マニュアル?には含まれていない、イレギュラーな対応だ。この動物保護団体では、決まった手順があまりなく、ボランティアさんは思い思いに工夫をこらして仕事をこなしている。来る時間・帰る時間や、回数・頻度などの基準もない。などよく言えば自由で、悪く言えば何をどうしていいか分からない。私はこういう職場?は好きな方だ。

上の写真は、家の前の玉川沿い。初夏なのに草なし。お隣さんは除草剤、隣の隣は機械で刈ったのちビニール袋に入れて燃えるゴミに出す。草は陽射しをやわらげ、雨をやわらげ、いつか分解されて消える。と見知った人との会話にさりげなく織り込んでも、どうも通じない。ここでは春~夏の挨拶が「草、かなんなー」で、秋~冬のあいさつが「落ち葉、かなんなー」なのだ。

5/25(月)
風の学校 を主催しているカヨちゃんに会いにいく。うちから徒歩10分強。3畝くらいの畑と田んぼ、プレハブ二階建ての倉庫・休憩所がある。今日はカヨちゃんらが神老さんと呼ぶジジと、じゃがいもを掘りあげていた。近況を雑談したあと、

私 :それで、
カヨ:いいよ。
私 :まだ3文字しか言ってない!
カヨ:ヤギ連れてきたいんやろ?

話は決まった。私はヤギを連れ出したい。里親さんの庭だけでは草が足りず(ヤギは夏は、青草・青葉を大量に欲しがる)、糞尿が過多だからだ。
いいもの(合成化学物質を含まない)を食べているヤギの糞尿は、土壌微生物たちにとってはご馳走で、与えると活性化する。植物たちは、農作物も庭木も、土壌微生物の働きにより土中の養分を吸収できる。だから除草剤で土壌微生物を殺すのは、自然の摂理からしてオカシイんである。

5/29(金)
ヤギの暮らしている小さな丘の整備(糞尿が染みた敷材を持ちだす、きれいな敷材を補充する)を数ヶ月やってきたが、そろそろ止めることにした。
ヤギはかわいい。毎日でも会いたい。けれど私がいつまでも通えるわけではない。里親さんはヤギを生涯見守らなければならない。だから、里親さんが丘の整備について考えないことに慣れてしまう前に、私が行かなくなる方がいいと考えた。

町役場の裏にいるゼウスくん

だからという訳でもないのだが、町役場の裏(南側)にいるヤギに4年ぶりに会いに行きだした。いつ行っても小屋は掃除されており、水もあった。けれどずっと小屋の中で体を動かせていないのと、寂しそうなのが気になった。今朝は遠くから誰かが小屋の掃除をしているのが見えた。おもいきって挨拶したら、飼い主のヤマさんと娘さんだった。

娘さんは半年前から手伝いだしたそうだ。ヤギは12歳で、掃除のあいだ外をウロウロさせてもらえていた。コヤギの時は散歩に行っていたが、大きくなって行けなくなったとのこと。私が保護したヤギの3倍くらいある。娘さん曰く、わたしも散歩に連れて行ってみたが、犬を散歩させている人もいるし子供もいるし、危ないと思った。とのこと。ちゃんと考えてもらっていた。

敷地内には鶏舎や畑があり、たずさわっている人達が集まってきた。群れで暮らす動物は、人が集まってくると嬉しい。人に向かって頭突きしだした。遊んでほしいのだ。けれど彼のこの行動は、だだをこねている、と思われているようだ。

ヤマさんは名古屋コーチンの平飼いもしていて、おみやげに卵をくれた。鶏舎をのぞくとメンドリ5-6羽にまじってオスも3羽、元気よく鳴いている。卵10個は多いので、カフェ志木に寄ってカオリンにおすそわけした。

5/31(日)
神戸フェニックスフィルへトレーナーに行った帰り、歩道の真ん中に倒れているアゲハ蝶がいた。そっと持ちあげると、羽の端がちぎれ、胴体の下部が右へ折れていた。均衡がとれずに横たわっている。看取ってあげようと連れ帰った。

ヒノキと竹でできた鳥カゴに、うさとの古服を敷いて、そっと置いてやる。砂糖水と、庭木を適当に切って一緒に入れる。鳥カゴを、葉ずれや虫の音がさわさわと聴こえる窓際に置き、布をかけて暗くしてやった。テレビを観たくなったが、セキセイインコのらな が晩年、デジタル音に辛そうにしていたとき購入したイヤホンを使うことにした。

晩御飯はイワシのフライ。蝶を拾っておきながら、魚をもりもり食べている。動物を食べるのはかわいそうと菜食になる人がいるが、動物も植物も命を頂くことには変わりない。
必要以上に他の命をうばわない、支配しない。できるだけ自力で手に入れられるものを食べる。そんな風にしようと思う。

夜カゴをのぞいてみる。生気が一段となくなっている。呼びかけると羽をはっきりと動かした。
朝、死んでいた。居ずまいを正すかのように真っすぐな姿勢だった。