動くお花だ。
ミクをお迎えしたときそう思った。その前の20年は文鳥を飼っていたから、ミクの色は太陽のように輝いて見えた。

2024年10月にラナがいなくなり、ミクは急に老けこんだ。それまで毎日ラナに交尾をせまっていたのに。止まり木ではなく、床の上でうつらうつら していることが増えていった。
ごはんを食べなくなり体重は2割減った。年が明けて1割戻ったが、元の体重には戻らなかった。ミクを指に乗せていると、1年前のラナの弱々しさに似ていると感じた。
1月5日の日曜日、ミクはひどい痙攣を起こした。夕方から30分間隔で30秒ほど痙攣、痙攣が収まったあとパニックになって部屋中を飛び回り、疲労困憊するとパタッと両足を投げだして倒れる。それが翌朝まで続いた。
ミクが死んじゃう!と友人に電話。彼女はビデオを見て、大丈夫、今のこの症状では死なないから、と言ったあと、次のようにリーディングしてくれた。
「ミクがラナを思いだすと、魂が体から抜けようとして、驚いた体が痙攣を起こす。ミクは飼い主と共鳴しやすく、飼い主がいつまでもラナの死を嘆き悲しんでいると、同じことが起きる。」
木津川市の動物病院にも連れていった。先生は痙攣の起きる原因として考えられることを整理して話してくれ、医学的な処置にはどんな方法があるか説明してくれた。
悲しみって、自分がそれを味わっていたいと、いつまでも止められない。そういう側面がある。ミクに死んでほしくない。ミクのためにやれることは全てやろう。そう決心して、ラナの死を嘆くのはピタリと止めた。
痙攣はそれ以降も時々起きたが、軽いものだったので、もう心配はいらないと思っていた。けれど、ラナが生きていた3か月前のミクに戻る気配はなく、すっかり老鳥になっていた。
体調不良や高齢の小鳥に、飼い主ができる一番の方法は、部屋を暖かくすることだ。外出するとき部屋はぬくぬくに。寝るときも自分の布団を1枚減らした。寒波に怒ってもしょうがないが、奴は何度もやってきた。そのたび暖房器具を総動員して部屋を暖めた。
小鳥のうんちは緑色がかってぷるん!としているのだが、茶色くベタッとしたうんちをしてお尻を汚すようになった。とくに留守にしている時間が長いとストレスが溜まるようで、決まって茶色いうんちをした。タイミングの悪いことに、両親の介護で、家をあける時間が増えていった。

水浴びをしているところ 水音を真似るのが得意
3月15日の土曜日、ミクが軽い痙攣を起こした。部屋を暖かくして、自分が明るくいるよう努めた。
翌朝もミクの調子は芳しくなかった。レッスンのためにセラミックヒーターを1つ洋室へ持って行ってしまうため、和室はなかなか温まらない。補助的にカセットコンロの小さなストーブを点火。
今日のレッスンは午前だけ。でもレッスンが終わってもミクの状態は改善しない。どうすれば彼が快適かを必死で考える。苦しむミクを見て、昼過ぎにハタ!と気づいた。ストーブが良くない? ストーブを止めて違う空気を吸わせると、よくなった。いつもの痙攣と症状が違うのに、連続して見ていると気づけなかった。このときの悔恨の気持ちは言葉に言い表せないが、不思議と罪悪感はわかなかった。私は最善を尽くしていた。
空気を入れかえるため、和室と洋室の窓・扉を全開にした。ミクが冷えてしまう。洋室の床暖房の上に置いて、ミクの上部をてのひらで囲った。暖かいはずなのだがミクは苦しそうだ。あとにして思えばこの床暖房もよくなかったと思う。金属パネルを敷き詰めた上に温水パイプを張り巡らせたもので、私はここに長時間いると気分が悪くなる。私がなんともないストーブに影響を受けたミクが、私が気分を悪くする金属パネル式床暖の影響を受けないはずがない。
昼過ぎから、水仕事やトイレのとき以外、ずっとミクをてのひらに乗せていた。ミクは死なないと信じていた。夕刻「ミク、大好きだよ」と呼びかけると、眼を開けて私を見た。まだ眼の光に力があった。
日が暮れて、片手で夕食を食べながら、ダメかもしれん、と思いはじめていた。てのひらに乗せたミクから温もりが失われ、鼓動が弱まっていくのを感じていた。
9時ごろだったと思う。それまで くたんとしてたミクが、ばたばたっと暴れて床に落ちた。飛ぼうとしているのか? 何度もばたばたっとするので、てのひらからはみ出して落ちないよう両手で覆った。
ミクが顔をあげて私を見た。眼という器官は、脳の一部が体表に伸びてきたものといわれる。その眼を見て、もうミクの脳はぐちゃぐちゃで、修復不可能なのだと悟った。悲しかった。その見えない眼で、わたしを見てくれたことが嬉しかった。しばらくしてブルブルッと身震いすると、魂が体から抜けたのがわかった。
リーディングしてくれた友人は、朝、夢を見たそうだ。私が籠ごとミクを持ってあらわれ「これ預かって」と渡し、「抱きしめてあげて」と言ったそうだ。籠ごと抱きしめるの?と思ったところで夢は終わった。

2023年7月のラナとミク
ミクは2017年3月末に、生後三週間ほどで我が家に来た。挿し餌をして育てた。ミクは私と共鳴しやすく、私がイライラすると彼も情緒不安定だった。私が眠れずうなされる夜は、籠のなかでガサゴソと徘徊した。
職業的に外出にしている時間は長くないのだが、一羽ではさみしかろうと、2018年11月に生後9か月のラナをお迎えした。小鳥は大人にならないと雌雄がわからない。ラナは2月生まれで、ミクの1歳下だった。
別の鳥籠にラナを入れ、入り口同士を開けてくっつけておいた。翌朝起きると、ラナがミクの籠の中央にいた。「わたし、こっちの家にするわ」とでも言いたげに。ミクの家はヒノキと竹でできていて、金属製の家より居心地がいいに決まっている。ミクは隅で目をぱちぱちさせていた。ラナと争うことは全くなく、出会いからラナファーストだった。
ミクの一番好きなものはごはんだったが、ラナが来てからはラナが一番。ごはんは二番になった。居心地のいい家も大好き。飼い主さんはそれ以下。家もごはんも私が用意してるんですけど。
ラナは幼鳥時にひどい扱いを受けていたようで、人を恐れ、仲間であるミクにもなかなか慣れなかったが、彼は忍耐強かった。2年くらい経ってやっと口移しに餌を受け取ってもらえるようになった。次にカキカキしてあげれるようになり、そしてカキカキしてもらえるようになった。ラナのために歌い、踊り、人間語で話しかけ、ブランコを譲り、ごはんもラナが先。二羽はラブラブで、ミクはラナに首ったけだった。
水の流れる音がすれば蛇口のところに飛んできて、様々な水音をまねた。好奇心旺盛で、なんにでもクチバシを突っ込みたがった。味噌、醤油、ごはん、コーヒーかす、ニンニクのすりおろし。人間の食べものに襲いかかるので食事中はとても籠から出せなかったのが、ラナの死後は大丈夫になってしまった。私が目の前でもぐもぐしていても、反応しないミクが悲しかった。

足踏みミシンのカタカタいう音が大好き
朝、目が覚める。枕元を見る。ミクはいない。
かぶせていた布をはずすと鳴き、新しいごはんを入れるといそいそと食べる。カーテンを開けて庭が見えると嬉しそうに鳴き、陽が当たるところに設置した止まり木に差しだすと、ぴょんと飛びうつる。私が朝の家事をしている間そこで、うつらうつらと過ごす。
ミクは生活の一部、空間の一部だった。30分間隔くらいで「そういえばミクはどうしてたっけ」と考えることに、いなくなって気がついた。洗濯物を干すとき、お茶を入れたとき、洋室から和室に戻るとき、メールを1つ打ち終わったとき、レッスンが終わったとき。いつもミクがどこかにいると思っている。「ああ、ミクはいないんだ」と何度思っても、「えっとミクはどこかな?」と繰りかえし思う。
土日は雨だったが月曜午後は晴れてきたので、ミクを埋めに庭に出た。ラナの隣にお花と一緒に埋葬した。部屋に戻ると、濃厚だったミクの気配が薄らいでいた。ラナのところへ行きたかったのだ。と感じた。
日常のささいな家事のなかに、ミクのためにしていた出来事がある。幾日もたってから「あっ」と気づく。それはもうしなくていいのだと。お醤油や調味料の上にかけるふきん。あの子のために取っておいたお茶っぱ。半乾きの緑茶をカミカミするのが好きだった。めがねをケースに必ずしまうのも、譜面台においた楽譜をしまうのも、あの子がいるから。
籠をそのままにしておけばミクが戻ってくると、私の中の小さき者が思っているようだ。これがただの物体と化すには、しばらく時間がかかるだろう。
夜、庭に出ると、星が出ていた。人間は凶器のごときLEDで居住区から暗闇を駆逐してしまったが、井手町の貸家の勝手口にはまだ昭和の夜がかすかに残っている。去年の春から秋にかけて、時間を作ってはラナを連れ出し、一緒に空をながめ、風に当たった場所だ。ミクも飛べなくなったら連れ出してあげようと思っていたのに、残念だ。
ミクはラナに会えたのだろうか? 二羽は今幸せだろうか? 「もう来ちゃったの? 飼い主さん置いてきたの? 早いよ!」とラナに叱られていないだろうか。