2025/3/14(金)
京田辺教室でのレッスンに、出席カードに貼るシールを忘れることがある。京田辺教室・井手町教室どちらの子供たちにも、同じシールの中から選ばせているからだ。ハルくんはそれに備えて、お気に入りのシールをレッスンファイルに入れている。私がシールを忘れるとそれを貼るのだ。そして「俺だって教本を忘れるときがあるしな」と先生をフォローしてくれる。シールと教本は同等らしい。

ハルくんのすぐあとに、レンくんという子が体験レッスンに来た。動機はドラえもんの映画で、スネ夫がバイオリンを弾くのがカッコよかったからだそうだ。しずかちゃんが弾いてたから、とバイオリンを始める子供はたまにいるが、スネ夫は初めて聞いた。誰がスネ夫の演奏を担当したのだろう。

3/15(土)
ハバさんは左手首の周辺がときどき痛くなる。前回は手首の角度を修正することでバイオリンが弾けるようになったが、今回は親指の付け根が痛くなり、しばらく弾いていないと言う。これはバイオリンを始めた大人の多くがなる現象で、手を使ってこなかったことによる筋力不足だ。
大きな重たい物体に対して、手で力をかけるとき、親指の付け根を使うシチュエーションを想像してほしい。パンをこねるとき。洗濯物を手で洗うとき。味噌をたるに詰めるとき。米袋を持ちあげるとき。子供を抱えあげるとき。
どう手を使って、どこの筋肉をきたえるべきか、話し合って展望が見えてきた。ピアノを弾くのもいい。

3/22(土)
ヒカちゃんはピアノの発表会でバイオリンを弾くことになった。毎回レッスンの後半はその曲をやる。先週はスラーとスタッカートの弾き方を、今日は音量を大きくしたり小さくする方法について質問してきた。「この曲は気にしなくていい」と答えると納得していない様子。「じゃあ先生が楽譜通りに弾いてみるね」と記譜にしたがい、音量を大きくしたり小さくしたりして演奏した。すると変な曲になった。そういうこともある。この曲は書かれた通りにしない方がいい、と分かったみたいだ。

3/26(水)
メイちゃんは普段から体をよく動かしており、肩甲骨もシッカリしている。だがバイオリンを弾くとき、左肩甲骨を体内に引きよせるクセがついてしまった。大人の生徒さんのほぼ全員、子供でも多くが、バイオリンを構えると、体が肩甲骨を体内にしまい込もうとする。それがバイオリンを安定させられると体が誤解するのだ。
肩甲骨を外に浮き出させる所作をしてもらい、そこに先生が手をかけて、肩甲骨を引き出したままバイオリンを弾く練習を繰り返した。メイちゃんは身体感覚がよいので、「こっち」の方が弾きやすい、ということは いつも良く分かってもらえる。難しいのは、それを定着させるための家での練習だ。

3/27(木)
最近習いだしたコユちゃん。バイオリンを弾くことになれてきたので、副教材の「やさしいヴァイオリン曲集<上>」に入った。この本は順番に進むのではなく、本人の琴線に触れた曲からやる。そのため最初のみひらきページ全7曲の冒頭を、まず先生がお手本に弾いた。するとコユちゃんは1曲ごとにお母さんを振り返る。最初先生にはその意味が分からなかったが、「家でお母さんが弾いてるのと違う」と言いたいのだった。

3/29(土)
世界的ヴァイオリニストの森悠子先生がお亡くなりになられた。日曜の葬儀はレッスンとかぶっていたので、土曜のお通夜にかけつけた。先生は晩年 京都を中心に活動されていたので、私もグループレッスンでご指導いただいたり、子供たちへのレッスンを聴講させていただいた。
先生の助言むなしく私の右手はいまだに霧の中だが、左手に関しては「あなたの小指はそれで良いわ」という一言があった。小指が良いということは、ほかの指も良いということだ。先生のお墨付きは私のひそかなお守りである。
しかし私が森先生を拠りどころとしている一番は、バイオリンが弾けるようになるための考え方(指導法)だ。20年前、私は自信が持てずにいた。バイオリン習得へのアプローチについて、私のような考え方をする先生や情報が見当たらなかったからだ。

3/30(日)
京田辺シュタイナー学校であった「桂米紫 独演会」という落語の会に行った。おもしろかった。デジタル画像やデジタル音声によるヴァーチャルな余興の不自然さを、改めて感じた。低学年の子供たちの眼がきらきらしていた。