カンペキに正常な人なんて、いないと思います。
100%普通の人も。

どんな子も、すらすらできるコトと、つっかえてできないコトがあります。
何の曇りもない人はいません。

「発達障害」「認知症」いずれも、ここ数十年の言葉です。
どこからが発達障害で どこからが正常なのか、線引きってできないよなあ、と思っていたら、「グレーゾーン」という呼び方が出てきました。


わたしは子供のころ「変な子」「普通じゃない」「できがわるい」と言われていました。
今であればグレーゾーンなのでしょう。

わたしには他の子供たちの気持ちがわかりませんでした。友達の気持ちがわからなかったので、周囲からあまり好かれていなくて、いじめられていました。

親をふくむ大人の気持ちは、なぜだか分かっていました。こういう意図があって、こんなことを言ってるんだな、というのを、いつも感じていました。親の考えは読みとれていたのに、弟の考えは読みとれませんでした。今 冷静になって考えると不思議です。子供はあまりなにも考えていない、だけだったのかもしれません。

周りの大人の言っていることは、おかしいと思っていました。
私のことを理解してもらえないと感じていました。
10代後半になり自分の考えを言葉にできるようになり疑問をぶつけても、母からは ”そういうもんなの” という返答しかありませんでした。


子供のころは、怒りや憤りの感情がたくさんありました。
大人になって、怒りの手前に悲しいという段階があり、それを覆い隠すために怒っていることに気づきました。

感情がわいてきたとき、それを観察するだけ、ということも出来るようになりました。

感情はちゃんと感じたほうが健康にいい。封じてしまうと、体の不定愁訴や病気という形で出そうです。


体育がさっぱりできなくて、走るのはいつもビリ争いでした。
なぜ速く走れないのか? 自分でも不思議でした。

自身の状態を観察して言葉にすると、体が動かないんじゃなくて、動かし方がわからない、何かが噛み合っていない。
それを先生や親に伝えることはありませんでした。
単に運動神経が悪いと思われていました。

バイオリンを上手に弾く子が、体育が苦手なのはどうしてだろう? って誰か思ってくれても良かったのになあ。

自分がそんなでしたから、レッスンにくる子供たちを見ていても、いろいろと感じることがあります。
普段まわりの大人から、どのように働きかけられているのか。どのようなものを食べ、どのようなところに住んでいるのか。体のどこが弱くて、将来どんな状態になりそうか。

わたしの体は、学童期に足腰を発達させられず、感情をうまく処理できなかったため胸郭の左右差が大きく、慢性的な体の痛みがあります。体の痛みについて病院で診てもらっても、 ”気のせいでしょう” と言われてきました。


「〇〇さんは大丈夫かしら?」と思っただけで、〇〇さんの体の痛みが転写してしまう特技?のある友人がいました。彼女はわたしの友人の犬が体調を崩したとき、飼い主しか知らない中耳炎や股関節の不調を言い当てました。わたしの体の辛さも、実感として分かるようでした。

わたしはオケで弾いていると、隣人の悪いクセがうつってしまう困った特技?がありました。
また人が弾いている姿を見ると、歪んだり滞っている箇所がわかります。

人生は何が幸いするかわかりません。
おかげでバイオリン・ビオラを教える仕事ができています。