7/2(木)
先週から雨量がすごい。ここに越してきたとき少しの雨で庭はびしょびしょだった。子供たちが悪臭がすると顔をしかめた。
それから3回目の夏。今朝も水中にいるかのごとく雨が降っているが水溜まりはない。このへんは耕盤層が頑強なので、土中はタポタポと思われる。庭木たちは辛そうだ。
先週 図書館からの帰り、暗くなりだした頃、玉川沿いで声をかけられた。「蛍の名所と聞いて来たが、河川敷の草の感じでは出そうにない。待っていたら出るだろうか?」「去年も今年も三匹くらいしか見ていない。川沿いに住んでいて三匹だから、あなたが見るのは難しいだろう。」
その人は、蛍には草むらが必要で、護岸工事や泥さらいをすると蛍はいなくなる、と知っていた。
近所のジジさんは、蛍を手のなかに捕まえた!とはしゃいでいた。しかし不快害虫は容赦なく排除する。昨日もヘビの忌避剤を買いにいく、というところに出くわした。ビデオを見せてくれたが立派なアオダイショウに見えた。(うちの庭においで)と心のなかで声をかけたが、無事だっただろうか。
カマキリに人気?の掃き出し窓では、3-4cmの子を見かけるようになった。ガラスや網戸より草むらが快適だと思うけどねえ。なんでそこが好きなの?
日本野鳥の会 の長靴に亀裂が入って、新しく買いなおした。赤目自然農塾で友人から勧められたもので、デザインがよく、使用感がよかった。サイズは大きめ、インソールを一緒に買うといい、と教わった通りにしてバッチリだった。合わせてTシャツも買ったが、こちらは小さめがいいです。
大雨のなかでもこの長靴をはいて出かけると気分がいい。大西商店、図書館、町役場裏のヤギに会いに行く。

7/9(木)
普段から、除草剤でへたった庭をよみがえらせる、滞った土壌の呼吸をとりもどす、田畑の微生物に元気になってもらう、そういった情報やワークショップを探している。縁あって「すどう農園」というところのメルマガを登録したが、これが良かった。
園の主は、できるだけAIは使わない、と述べている。私もそうだ。できるだけスマホは使わない。できるだけ冷房はつけない。できるだけ近所で獲れたものを食べる。組織やシステムの巨大化を支持しない。
AIやスマホはできるだけ使わない、という文脈に全く出会うことがないのは、何故なんでしょうね。このまま地球がぶっこわれて(いや、その前に人類が滅亡します)いいと思ってるのかなあ。
便利さを先に知ってしまうと、それらが無くなってしまうことに恐れを感じる。でも子供時代と、大人になってからの生活を比べて、良くなった(便利で楽、進歩・前進した)と思うことより、悪くなった(不便になった、居心地悪くなった、辛くなった)と思うことの方が多い。


7/11(土)
バイオリン教室をむりくり休講にし、「琵琶湖の生態系を豊かにする、鴨川の環境改善」WSへ行った。WSの場所は、子供時代の感覚では魚がいそうな場所なのに、魚影が見られない。ほんの50年前は、大きな魚を捕まえたいのに、小鮎やもろこが手の隙間に入って邪魔だったそうだ。
坂田昌子さんの指揮のもと、午前中は川底から泥(シルト)を持ちだす作業をした。健全な川底は本来、砂地のうえに大小の小石がころがっている。そこが魚たちの住処や産卵場所となる。その環境が変わると居所がなくなり子孫をのこせない。
なぜ川底に泥が溜まるのか? それはダムや護岸工事により、川の流れが直線的で鋭くなったこと。人間の介入によって山の保水力が弱ったこと。などが原因で、山肌の土が押し流されてしまうからだ。元の場所へは返せないので、周辺の木々の根元へ運びあげる。
泥は場所により数mm~数十cm積もっている。深いところからは小魚の死骸がいくつも出てきた。泥に絡めとられて窒息死してしまうのだ。どこからかサワガニも出てきた。彼らは幸いにして元気だ。
泥をすくい出すと砂地が現れてきた。手で触るとその境目はよくわかる。砂地は手で触っても気持ちいいし、足を踏みいれるとキュッキュッとなんとも言えない音がする。
午後は周辺の石をつかって、流れの鋭さを緩和する作業を行う。自然の動きは一定ではない。川の流れもそうだ。人間は均質がよいと考えるが、自然はその逆で、それぞれの水生生物が自分にとって居心地のよい流れの強さ・岸の近さ・水深・日当たりに住み、子孫を残す。多様性が生まれると、バランスが保たれ恒常性が増す。
その複雑系を再生するような石の置き方をしなければならない。また日にちが経過したあとどうなるか、水量が増えたり減ったりしたときどうなるか、想像できなければならない。一朝一夕では身につかないことも、川から生活の糧をえていた昔の人は知っていた。


7/13(月)
外気温が暑すぎて、電車内のクーラーが効かない季節になってきた。はおるモノなどの持ち物が少なくできて助かる。
今日は大阪府高槻市へ整体に。自然農仲間に紹介してもらった先生だが、この方がすごい。20-30分ひょいひょいとアチコチを押したりつまんだりして終わり。なのに体がすごく変わってゆく。
わたしは肝臓がよくないそうで、時間をかけて働きを良くしていくと言う。右足首の骨折についても的を得たアドバイスをくれる。
肝臓は周囲からのストレスを受け止めて何とかしようとする臓器で、肝臓が変わると、出来事は変えられなくても、それに対する見方が変わる。こだわりがなくなる。と先生は言う。
7/14(火)
今日はJR京都駅前の歯医者さんへ。この方がまたすごい。時々患者目線のところまで降りてきた物言いをする。
また治療にかける時間が、一般的な歯医者さんの倍。この先生に治療してもらうと、一般的な歯医者さんでは「妥協している」点が分かる。あきらかに儲からない。
治療にかける時間が倍なのは、患者にとっていいことばかりではなく、小さな子供を診てもらった私の友人は「長すぎる。子供が忍耐できない」と1回でやめた。お客様に寄りそうというのは難しい。(バイオリン教室も)

帰宅したら掃き出し窓にカマキリが。10cmくらい。どうやって入ったの?
7/15(水)
台所のテーブルが醤油でびしょびしょになっていた。こぼした記憶がないのに何故?と思ったら、原因は味噌だった。
2年半前の味噌が残りわずかとなり、酵母菌が暑さでコロニーを作り出したので、壺から瓶に移し替えた。酵母菌は攪拌すると活性化する。フタの隙間から たまりがこぼれ出していた。たまりとは、味噌の上にうっすら滲んでくる液体。これはほぼ醬油である。醤油よりうまみが強くておいしい。歴史的に味噌が先に登場して、そのたまりから醤油ができた。
昔の味噌屋さんが、店頭に並べた味噌を山形にしていたのはカッコつけではなく、酵母菌におとなしくしていてもらうためだ。
スーパーなどに流通している味噌は、化学物質を加えて数ヶ月で熟成させ、化学物質で発酵を止める。おいしいハズがなく、体によいハズがない。家で作った味に馴れると、とても不味く感じる。

