6/29(日)
畑で溝に右足をつっこみ負傷。大家さんに田辺中央病院の救急外来へ連行される。わたし1人だったら、翌朝までうなりながら寝込んでいたと思う。感謝。
レントゲンを撮ると、「2ヶ所骨折」「手術かも」「整形外科を受診のこと」と告げられる。松葉杖を貸し出してくれた。
7/1(月)
大家さんは大阪万博へ孫を連れていく日で、井手町の友達せっちゃんが送迎してくれた。
骨折の1ヶ所は、小指 中足骨の付け根のヒビ。もう1ヶ所は踵(かかと)の大きな骨、踵骨(しょうこつ)のアキレス腱が付着している部分の裂離(欠け)。
「明日入院、あさって手術」と優しくて男前な先生に提案される。ヒビの方は動かさずにいれば治るけど、踵骨は手術しないと治らない。手術しないとどうなる?と聞くと、「ずっと痛い」「元のようには歩けない」「あなたは若いから(ここでは若いんだー)ほぼ元通りになります」と。
血液検査、尿検査、CTなど健康状態を調べるための検査を一挙に受ける。問題のある項目ゼロとのこと。そりゃそうでしょうよ、経口毒も経皮毒も電磁波も極力取りこまない生活をしているから。自分の健康状態が分かって思わぬ副産物。
帰宅してから大忙し。生徒や知人への連絡。入院の準備。食料品の始末。
7/1(火)
何十年ぶりかの入院。大家さんが送ってくれた。
入院してしまうと突然ヒマになる。生徒たちに休講の連絡が確実に届いているか、スマホで確認できるので便利だ。病棟でも患者さんたちは結構自由にスマホを使っている。(体に良くないんだけどねー)
人工的な環境は苦痛だが、窓際のベッドになって助かった。空が見え、日が差す。夜は複数のデジタル音が鳴りやまずしんどい。
7/2(水)
夕方から手術。せっちゃんが手術直前に顔を見せてくれた。
下半身だけの麻酔か、全身麻酔のどちらかと聞いていたが、下半身だけになった。気分は野生の猛禽類。彼らが手術されてるとき眼をギラギラさせて怒っているのがわかった。体がコントロール不能な理不尽な状態に置かれていることへの怒り。患者がパニックを起こしやすそうなときは全身麻酔になるのだと思う。
7/3(木)
夜半痛みに苦しんだが徐々に回復。
銘木カフェ志木のチエリーよりメッセージが来る。「なにか欲しいものはないか?」
「生クリームとジャムのクレープ!」と返信。もちろん退院してから、カフェに顔を出せるようになってからの話だ。
が後から聞くところによると調理担当のカオリンに、「お母さん!今すぐ田辺中央病院にクレープ作って持ってって!」と叫んだらしい。いやいや、手術の翌日にクレープは食べれんよ。
7/4(金)
朝カーテンを全開にしていたら驚かれた。足以外は元気なので、昼間やで!夏やで!と体に刺激を与えないと調子がおかしくなりそう。時々体がむずむずしてベッドの上で柔軟体操をする。
浜松の母がさわがしい。「娘が周りにこんなに迷惑をかけているのに、親は顔も出さないのか、と思われないか」「顔を出したら出したで、何もできることがないのに何しに来た?と思われないか」が心配だと言う。面倒な奴だ。「あなたは娘の心配をするのが趣味で楽しみなのだから、それなら来たらどうですか?」と打ったら、喜んで飛んできた。
7/5(土)
最短で退院。大家さんが迎えにきてくれた。家は木と土が多くておちつく。電子音はなくなり、鳥の声、虫の音。
大家さんに頼んで昨日、井手町の社会福祉協議会からが車椅子を借りてきてもらった。入院前と比べ、家のなかでの移動は格段に楽になった。
7/6(日)
大人のための おとあわせ会(合同レッスン)を無事に終える。
7/7(月)
裏口で手が足らず困っていると隣家の大家さんの気配が。ゴミ出しをお願いしたくて「助けて~」と呼ぶと、「うろちょろしたらアカン」「おすわり!」と言う。そのうち「お手!」と言われるかもしれない。
昨日まで怒涛の日々だったが、月火はレッスンがなくゆっくりできる。これからの生活、どうすればストレスなく過ごせるか考える。家のなかの移動には、松葉杖か、膝か、お尻を使わねばならない。膝パッドは必須だ。ネットで探して注文する。
7/8(火)
これから外出はどうしたらいいのだろう。大西商店への食材買い出しや、図書館やカフェ志木へ自由に行けたら、どんなに精神衛生上いいだろう。松葉杖や手動の車椅子ではムリだ。電動車椅子のレンタルを調べ、電話すると、何社目かが水曜に試走させてくれることになった。高かったが心の健康には変えられない。
7/10(木)
昨日借りた電動車椅子で井手町図書館へ行ってみた。快適すぎる!

7/14(月)
退院後初めて田辺中央病院へ行くのに、電動車椅子で行った。タクシーだと往復5千円のところ、電車賃660円と、駅員さんたちの親切な連携プレーで行くことができた。ありがたや。
7/15(火)
郵便局と、銘木カフェ志木と、大西商店へ買い物にゆく。電動車椅子で移動していると世間の注目を集める。いままで知らなかった「世間」の新たな一面を体験している。郵便局はさすがのバリアフリー。志木の入り口の段差越えは助けをかりた。私のことが大好きな柴犬のワビスケがどしたの?どしたの?とじゃれつく。
ヒトは、自分より(少し)優位な相手に嫉妬心をいだく。これは仕方のない感情だと思う。なぜならみんな、よりよく生きたい(お腹いっぱい食べたい。沢山お金がほしい。えらくなりたい)と思っているから。そのネガティヴな感情とどう向き合うか、が、人生における腕の見せどころ?なんだと思う。
そして自分より弱い人には親切にしたくなる。車椅子に乗っていると殆どのヒトが親切にしてくれる。自分が親切にする側の体験を通じて分かっていたが、今回は親切にされる側でそれを体験している。
興味を持つまい、親切にするまい、と心の底でブレーキをかけている相手には、嫉妬心を感じていることがある。逆に妙に冷たくされる、よそよそしい態度の人は、私に対して嫉妬心がある。ということも友人の指摘でわかっている。どちらもなくせたらいいなあ。
7/29(火)
昨日ギプスが取れ、装具というものになった。装具は取り外しができ足も洗える。寝るとき外していいか聞いたら、「自己責任で」とのこと。ねぼけまなこでベットから降りて、足を突き、振り出しに戻ってしまった患者さんもいたらしい。注意喚起に怖がらせるには十分なお話です。(^^;)
そして今日から週1回のリハビリ。歩行訓練が始まった。第一週は、体重の1/3負荷をかけて松葉杖で歩く。どうやって1/3を確認するのかと思ったら、歩行訓練のとき足の下に体重計を置いてくれる。それで感覚をつかめと言われるが、よく分からないので、適当にやっている。
日常生活は、車椅子より松葉杖で歩くよう言われる。しかし物を運びたいとき松葉杖は難しい。しばらく車椅子は必要だ。井手町から借りている室内の車椅子、業者さんから借りている外出用の電動車椅子ともに、延長を申請した。お財布は痛いが生活の質には変えられない。
歩行訓練を始めてから体の節々が痛い。体幹がなまらないよう負荷をかけるストレッチをしていたが、やっぱりなまっていたようだ。それにしても右足を宙に浮かせておかなくていい、床につけれるというのは、とても快適だ。
8/15(金)
リハビリで立つ(だけの)練習をしたのは8/5のこと。なるほど、体重の半分の荷重をかけてよくなったら、立つことができる。
けれどレッスンで立つのは控えていた。生徒さんにどう助言しようかめまぐるしく思考しているため、つい半分以上の荷重をかけてしまう危険性がある。また立てても移動はできないため、基本的には車椅子に座ってレッスンしていた。
けれど車椅子では生徒さんを見る方向が限定される。むずむずと立ちたくなってきた。馴染みの生徒さんのレッスンで立ってみると、生徒の弾き方を見る角度が増えて便利だ。(あたりまえだが)
私が立つと生徒さんが「わー先生が立ってるー」と喜んでくれる。レッサーパンダ並みの人気者なのだ。気分をよくして、次々と生徒さんの前で立ってみる。
立ち上がってヨタヨタと移動できるようになると、人間が二足歩行になったときのインパクトの大きさを感じる。両の手が自由に使えるとは、こんなにスゴイことなのか! ごはんとみそ汁が運べる。洗濯物の入った金ダライが運べる。それまでは色々な物体を、カーリングよろしく滑らせて移動させることもあった。

8/16(土)
おととい駅前の銘木カフェ志木まで松葉杖で歩いた。700m35分かかった。茶を飲んで休んだあと、帰りは半分の道のりを車で送ってもらった。
今日の往路は30分。茶を飲んで休んだあと、自力で帰った。かなりしんどかったけど、これでJR玉水駅も往復できる。
8/18(月)
京田辺市の京都田辺中央病院、整形外科の主治医の先生は、毎曜日いるわけではない。毎週外来に出ているのは月曜だけ。そのため診察はたいてい月曜となる。
お盆前、診察とリハビリは電動車椅子で通っていた。それだと自力で電車で通えるから。しかし男前で優しい先生が「18日は松葉杖でお会いできますね」と言ったので、今日からは松葉杖で行くのだ。
朝7時半、玉水駅へ向かう前に、燃えるゴミを反対方向へ持っていかねばならない。足の負担が心配だ。すると、朝夕にいつも散歩している顔見知りのおじさんが通りかかった。「すみません、助けてもらえないでしょうか」とおじさんにゴミを差し出す。おじさんは普段通りの笑顔で引き受けてくれた。ありがたや。イヤじゃなかったかなーと道中うじうじ思い返したが、もしおじさんが困っていたら、私は喜んでゴミを引き受けただろう。
帰路、玉水駅から家への700mは、井手町のオオタ工務店さんに送ってもらった。京田辺駅と病院の往復に加え、院内をうろちょろしたのち、日中の炎天下を歩いて帰るのは危険だ。カフェ志木のちえりーから「介護タクシーの事業を始めようと若社長が二種免許を取った」との情報を事前にゲット、予約していたのだ。第1号のお客さんとなる。
8/19(火)
朝7時半、玉水駅へ向かって出発。今日はリハビリだ。外来のリハビリは火木金しかやっていない。700m歩くのはもう5回目だが、その大変さに気分はまだ重い。自分を励まして歩き出す。すると向こうから柴犬がやってきた。ワビスケとちえりさんだ。ワビは散歩中に私の姿を認めると、いつも大喜びでじゃれつくのに、今日はなぜかクールだ。私の傍に来るとマワレ右をして、駅のほうへゆっくり歩き出す。
「ワビがこの道を選ぶことはあまりないんです」「中川さんの速度に合わせて歩いてますね」とちえりーが言う。駅が見える木陰がなくなるあたりに来ると、ああ暑い、とでもいうようにタッタカ駆け出していった。
8/26(火)
今日はリハビリのあと京都駅前の歯医者さんへ行かねばならない。脚力温存のためオオタ工務店さんに家から病院まで送ってもらう。井手町で少し大きな怪我や病気をすると、皆たいてい京田辺市の田辺中央病院へ行く。オオタ工務店の介護タクシー事業にとっても定番コースとなるはずだ。なんだか役に立っているようで気分がいい。
手術のとき、体を細分化して症例を蓄積してきた西洋医学のすごさに感心したが、リハビリに関しては西洋医学はイマイチだ。体を「全体」として捉えていない。片足だけが使えない状態になったとき、腰に配慮しなければ体全体がおかしくなりそうな危険性を感じた。
回復の目安として足首の曲がる角度を測るのだが、私は初回7/29のリハビリで90度。普通ではない柔軟性らしい。でも筋力や骨密度は人並みだと思う。「90度出たから、これくらい負荷をかけてもよい」と判断されると困るのだ。理学療法士さんの話、整形外科の先生の話、装具屋さんの話をもとに、自分の体と対話し、今どこまで何をしたらいいか決めている。
9/2(火)
家から駅までの30分は松葉杖が欲しいが、電車に乗ってから病院までは長距離を歩かないのでジャマになる。そこで、駅前の銘木カフェ志木で松葉杖を預かってもらった。ナイスアイデア。
登山用のスティックがあれば、松葉杖より便利かもしれない。志木には無いというので、大西商店のユキさんにメッセージしてみる。夕方の歩行訓練から帰ってくると、玄関前にスティックが2本立てかけてあった。ユキさんが超特急で届けてくれたのだ。どこへも出かけない日は、早朝と夕方に20-30分歩くようにしている。
9/5(金)
昨日は京都府井手町の社会福祉協議会から車椅子を借りてちょうど2ヶ月。家のなかで使っていたが必要なくなっていたので返した。
そして今日は、7/9に借りた電動車いすを業者さんへ返却。9/9まで借りたいところだが、本当は月末締めらしい。担当者さんがちょっと延長してくれて今日になった。図書館まで歩くのはまだ無理そうで、残念だが致しかたない。
午後は京田辺教室でのレッスン。いつも往路は大家さんが送ってくれ、帰りは志木のカオリンが迎えにきてくれる。教室に行く前はいつも、パンを買いに歩歩さんに寄ってもらうが、今日はそのあとコーナンにも連れてってもらった。
コーナン入口で背後から大家さんに「カートはどれがいる?」と聞かれ、くるりと振り向いて「あのでっかいの!」と答えたら、そのでっかいのを押していた女性が苦笑いしながら譲ってくれた。私が右足に装具をつけてドタバタ歩いていたからだと思う。感謝。
9/9(火)
リハビリの日。1時間半かけて京田辺市の田辺中央病院へゆく。(帰りは2時間半かかることも・・) JR玉水駅までの道のりをえっちらおっちら歩いていたら、先日ゴミを捨ててくれたおじさんが朝の散歩で向こうからやってきた。おじさんは朝夕うちの前の川沿いを歩いている。私が道端のきのこを珍し気につついていたら、それ時々見るよ、食べれないけどね、と教えてくれた。

9/12(金)
ひと月ぶりの診察。先生は前回私が「足に左右差があると腰がしんどいです」と言ったことをおぼえていて(カルテにメモってたのかもしれない)どうですか?と尋ねてくれた。沢山の患者さんがいる中で、固有の訴えを気にかけてくれるなんて、なんて一生懸命な先生なんだろう。
次の診察予約は10月末になった。リハビリの通い方は自分で決めたらいいとのこと。3-4か月続ける人が多いそう。通うのに時間がかかるためハズレの担当者にあたるとがっくりくる。
9/14(日)
立っていても歩いていても生徒がだんだん驚かなくなっている。「わー先生が歩いてるー」と誰かほめてください。
朝夕の散歩をしていると、見知らぬ人が声をかけてくれる。時々会うご婦人が近寄ってきて「だいぶ歩けるようになりましたね」と言ってくれた。「実は私もどこそこを骨折して京田辺市へ通っていた」という人も数人いた。オオタ介護タクシーは需要があると思う。どうやって認知度を高めるたらよいのだろう。
今日出会ったおっちゃんは、脳梗塞で5カ月、田辺中央病院に入院していたそうだ。川沿いを何100mか一緒に歩いたあと、では私はここでと言って、脇の階段をのぼっていった。町役場の裏に出る道なのだそうだ。以前なかった手すりが最近ついたとか。それって図書館への近道やん! 階段のぼりおりのリハビリもできるやん!

9/15(月)
電動車椅子を返却してから初めて、図書館へ行った。9/9のリハビリ時は右足首がまだ固く、階段を降りるのは困難だったが、今日はスティックに寄りかかれば降りれた。
9/16(火)
リハビリの日。今日から本格的な筋力アップのトレーニングに入る。教えてもらったことを家でキチンとやろうと思ったら、結構大変だ。
①両手を軽くテーブルなどの上に置いて、両足でゆっくり爪先立ちになり、ゆっくり戻す。
②片足で立つ
③1本の線の上をゆっくり歩く。または右足は線の左側へ、左足は線の右側へ置くようにして歩く。
リハビリで回復の度合いとして定点観測しているのは、足首の曲がる角度だ。今日の右足首は健常者の標準値に至った。しかし左足首を測るとプラス10度曲がる。右だけで判断するなら「あなたは治りました」ということになってしまう。
9/30(火)
今年の秋口はいつもより喘息が出やすい。右足首の炎症に共鳴して、気管支が炎症しやすくなっているようだ。体全体が辛くて今日のリハビリはお休みした。
あまり気づかれないが、左足に比べると右足はひとまわり大きい。まだ腫れているのである。足首の肉の違和感はかなりある。これは骨折→手術を経験していなければ分からないだろう。たった1つだが他人の気持ちがわかることが増えた。
夜布団のなかで、手を伸ばして足を触ってみたら、左足はひんやり冷たく、右足は熱い。かなり違っていてびっくりした。もう普通に生活できるのだが、右足の違和感がなくなるまで侮ってはいけないと思った。
カフェ志木のカオリンは「炎症を起こして痛い」と言うと過度に心配する。大家さんは普通に歩いている私を見て「もう治ったんか」と言う。そう言われると複雑な気分だ。説明がむずかしい。
炎症の話を大家さんにすると「薬は飲んだか?」と言われる。「炎症は、体が治そうとしているのだから、薬は飲まない方がいい」と答えたが、理解できないようだった。
10/5(日)
アンサンブルレッスンのビデオ を観て、姿勢の悪さに気づき、夕方の散歩から脚の動かし方を変えてみる。
10/7(火)
久しぶりにリハビリへ。朝7時半出発。井手町の朝は寒くて上着がいるのに、JRの車内に冷房が入っている。人災だ。ほかにも寒そうにしている人がいる。自分で変えられないことは、台風や地震のような天災と同じだと思うことにしている。
会社員時代、打合せにやってきた汗だくのおじさん達は、背広を脱ぐようどれだけ勧めても脱がなかった。あのやせ我慢なおじさん達も、人災の一助をなしていると思う。農薬がけ野菜も、買う人がいるから作られる。
駅の階段は積極的に上り下りする。一段づつ上るのはもう平気だ。今日からは一段飛ばしの二段づつ上ってみる。リハビリに丁度良い。下りは手すりを持たないと辛い。左膝は、下段に足を差し出すとき膝が伸びているのに、右膝は伸びていないのに気がついた。
今日のリハビリは良い作業療法士さんに当たり、右足首の炎症がひどくなると喘息が起こってしまうことや、階段の下りがまだ難しいことなどを話した。どこの筋肉を鍛えたらいいか確認して、効率的な筋トレメニューを考えてくれた。平地を歩行する姿勢はたいへん良いとのこと。
終わってから、JR京田辺駅の反対側にある喫茶店「オリーブの樹」に寄ってみた。

10/16(木)
10月に入り、昼間の気温が30度を越えない日が増えてきた。足の回復のスピードも落ちてきた。これまでは日々良くなっていることを実感していたが、10月中旬には分からなくなってきた。喘息が起こりがちで、リハビリ・筋トレが滞っているせいもある。
右足首の内部の組織が、通常の筋肉と違っていて、海綿状になっていて動かない。この感覚は人生初体験。海綿状に感じなくなった時が、完治と言えるのだろう。年齢的に元通りになれると言われたが、そうなれるのか不安だ。
チタンのボルトが生涯入ったままになるのだが、インプラントのチタンで電磁波過敏症がひどくなった人の話も知った。
大家さん&近隣の友人の連携プレーで入院し、手術し、退院し、自宅で布団の上にごろんと転がったとき、なんて幸せなんだろうと思った。電動車椅子で電車に乗って出かけたとき。ギプスが取れて足を床につけれたとき。二足歩行ができるようになったとき。幸せだったことを忘れないようにしよう。
10/17(金)
定まっている仕事のなかで一番大変なのが、金曜日の京田辺教室でのレッスンだ。荷物も一番重く、時間も遅い。9月中旬から往路は自力で行くようになったが、帰路は銘木カフェ志木のカオリンが迎えにきてくれる。
カオリンは一週間、朝から晩まで働いて疲れているはずなのに、くたびれた様子を見せない。(まあ実際カオリンは体力と気力がある。) 私が「そろそろ自力で帰れるかも」と言っても、これから寒くなるし遠慮せんでええ、と言ってくれる。いつもエチュード京田辺から家まで乗せてもらっていたが、今日は初めてJR玉水駅前でおろしてもらった。
10/29(水)
痛いところは休める。それが体にとっての自然だ。けれどリハビリでは痛くても動かせと言われる。そして実際、動かしている方が、治ってゆく。とても不思議だ。
10月前半は喘息がひどかったのでリハビリをさぼり気味だったのだが、その間 回復のスピードは鈍った。喘息が落ち着いてきてリハビリを再開すると、明らかに前進しだした。
手術から3カ月半、右足首の内部の組織が海綿状っぽかったのが、自分の肉だと思えるようになった。

11/3(月)
リハビリを頑張りすぎると、明け方に喘息が出てしまう。体が骨折を直そうと右足に炎症を起こしているので、それが気管支に飛び火しやすいようだ。いつもの秋より少しのストレス(疲れ具合、夜の気温低下)で喘息になる。
膝より下の、骨折による脚力低下には、爪先立ちのトレーニングが広く有効なようだ。私はかかとの骨が砕けたのだが、ギプスや松葉杖で巷に出歩いていると「実は私も」という情報がたくさん集まってくる。同じ骨折はひとつもなく、それぞれ部位や壊れ方が違う。けれど皆、爪先立ちのメニューを勧められている。
私の右足は、階段を降りるときかかとが痛んで、ねばれなくてカックンとなる。リハビリの度、階段の上り下りの動作確認があるが、このかかとの強化に有効だと思われるメニューは提示されたことがない。毎回マッサージしてくれたあと、爪先立ちと片足立ちだ。おひとりだけ「椅子から右足だけで立つ」というメニューを考えてくれたのみ。
外来リハビリで「家でこれしてください」と言われるメニューはおそろしく少ない。自分がバイオリンレッスンで生徒さんたちに提示する、体づくりのための「家でこれしてください」の多彩さとは、まるで違う。足裏の筋力のつけ方を聞いても、とっくに知っている情報しか出てこない。
喘息もこわくてリハビリに身が入らない。けれどリハビリをさぼると脚力は後退してゆく。他力本願(リハビリで言われたことを喘息が出ない程度にやる)ではなく、自分ごととして考えなければと思い、自分に合ったメニューを自分で考えてみた。

