4/4(金)
月明かりの下の桜は美しい。LEDに照らされた桜はどうだろうか。私が桜だったら辛い。あまり嬉しくない。夜は眠りたい。

京田辺の薪のマンションに住んでいたとき、駐輪場の向こうが田んぼだった。夜は蛍光灯がともっていた。灯りがないと夜帰ってきたとき不便である。あるとき駐輪場の向こう側、稲の穂を見てゾッとした。灯りの届く範囲の稲穂には実りがない。届かないところは実っている。彼らも眠りがなければ成長しないのだ。
人はどうだろうか。赤子は産まれにくくなり、新生児の体重は減少傾向で、子供たちの体力は低下し、立ち姿はよろよろしている。

京都府井手町 柴木田の貸家に住みはじめ、和室で読書をしていると肩がこった。突き刺すような痛みにある日、どうにもイラッとして蛍光灯を消すと、すっと痛みが消えた。蛍光灯をつけるとキーンと痛みが戻ってくる。手持ちの白熱灯に交換した。

4/7(月)
浜松の実家に帰省。6時前に家をでて9時前に着く。今日のメインイベントは、テレビをインターネットからアンテナへ戻し、電話をインターネットからアナログへ戻す工事。母は人がやってくれると何も思考しないので、可能なことはできるだけ母にやらせるが、さすがにインターネットの解約はできない。一段階づつ小出しにすべきことを伝え、母のわからないことは私が判断した。

ONUと無線ルータのランプがちかちかして眠れない、と訴えるので、2機の電源を切るのも母にしてもらう。切ったあと、テレビが視聴できるか、電話の発着信ができるか、動作確認をしてもらう。WiFiもなくなるので、インターネットという便利なものがどれだけ体に不快か、健康に影響を及ぼしているか、感じてくれるのではないか。と期待する。

父のクレジットカードの解約も母にしてもらう。とにかく廃止にすればいいのだから。1枚目は「紛失した」という言い訳ができる状況にあったので、紛失専門窓口へ電話できて話が早かった。2枚目は一般の問い合わせ窓口へ電話してもらう。受話器の向こうに人が出てくるまで、イラッとさせられる何段階かを突破せねばならないが、これも社会勉強のうち。認知力はまだあるので、世の中がどうなっているのか経験してもらう。

ヒモやスイッチはどこへも行かない。リモコンはどこかへ行く。母はテレビやエアコンのリモコンをしょっちゅう捜している。
京都の柴木田の家は70年前に建てられており、電化製品は更新されているところが多いものの、宅内インフラはヒモ/スイッチ系が多くて助かる。
テレビも本体についているポチッとしたボタンでON/OFFする。見ていないのに赤ランプが光っているのが苦手だ。
テレビのリモコンが登場したとき、「テレビは離れて見なさい」とやかましく言われていた時代だったから、これは便利だなと思った。(なくなる不便さにもすぐ気づいたけど) しかしトイレまでリモコンを導入する必要はあったのか? 照明器具だって、机の上でなにかしようとして「暗いな」と思ったらば、頭上のヒモを引っぱって明るくできたのに、部屋の壁際までいかなければスイッチがない。

4/12(土)
非電化工房の自立共生塾、第1回目のリモート会合があった。バシバシ課題が出されるかと身構えていたが、思っていたよりゆるい会で、今日はそれぞれの自己紹介(の途中)で終わった。

4/18(金)
化学物質の飛散量が多いようで朝から鼻をすすっていたが、京田辺のエチュード音楽教室に到着して一段とひどくなった。私のくしゃみを聞いた他の先生に「今日は花粉が多いね」と声をかけられたが、窓を開けて風を入れたらよくなった。花粉のせいではなく、屋内の化学物質のせいだった。香るもの(粘膜を刺激するマイクロカプセル)が多いので、ここに来るといつも鼻がくしゅくしゅする。

4/22(火)
サヤエンドウと実エンドウの花ざかり。収穫も始まっている。マクワウリの双葉がしっかり出て、本葉も少し出た。ブラジルミニトマトがあちこち勝手生えしている。

2023年6月に越してきたとき、庭には草がなかった。アリもダンゴムシもセミもいなかった。長年の除草剤の影響で、匂いも不快だった。玄関から1歩外に出た子供が、くさーい!と言ったりした。
その年の草は、出てきたら地際で切った。大家さんが隣に住んでいたからだ。秋になると、土を寒さから守るため枯葉を拾ってきてまいた。草の緑色と違って、茶色はあまり目立たない。茶殻や出し殻、微生物資材、畑から土と雑草を持ってきて、雑草は細かく刻んでまいた。

翌年の春は、少しづつ草を育てるようにした。ブラジルミニトマトが畑からやってきたようで、勝手生えするようになった。水はけの悪いところに点穴や水脈をほり、くぬぎ炭を埋めたり、竹炭をすきこんだ。夏が近づくにつれ、土を日差しから守るため、草の背丈を高くしていった。蝉が現れだし、夜に虫が鳴くようになり、カエルやトンボの姿も見かけた。秋になるとせっせと落ち葉を運んできてまいた。また庭木の剪定をして切り刻んでまいた。

2025年が明けると、あちこちでツバキの花があふれるように咲いて、大家さんはびっくりしていた。鳥もたくさん来るようになった。微生物や昆虫が豊かになったのだろう。今年はもっとカエルや虫に鳴いてほしいし、小鳥が巣作りしてくれたらな、と思う。

5/1(木)
3/5に亡くなった父は生前、デジカメで写真を撮るのが趣味で、それらが沢山残っている。母のリクエストで、それらを使ってアルバムを作るはめになった。パソコン内のものは本人の誤操作により消えていて、ブログからダウンロードするのだが、ファイルサイズが小さすぎて使えないものが9割以上。自分のリソース(身体機能)を酷使している。

最初は写真で選んでいたのだが、ブログに残されているコメントが面白く、途中から選び方が変わった。漢字のまちがいも面白く、そのまま使うことにした。「こう暑くちゃー、チンとしていられニャー(佐鳴湖の野良猫)」「海に沈む夕日を、遠州浜に出かけ、吹きさらしの寒い中で撮ってきた」「どこぞに花は咲いていないかな~と眺めていたら、ちょうど目の前の桜の木に雀が遣ってきてくれた」「暑い日で・・早々に中断してピザハウスに入り、ドイツビールを飲んで窓の外を眺めていた。これじゃー良い写真が撮れるわけがない」 絵文字まであった。自分の知らない父がいた。
私は父が「嫌い」だったが、30代のころ「好きでない」に昇格した。写真を選ぶ作業をしていると確執が氷解していくようだった。父が美しい景色を見るために、写真におさめるために、出かける人だとは思わなかった。
「(景色をとるとき)電線がいっぱいでうんざり」とのコメントもあった。父は 3.11後も原発を支持し、大量消費社会を支持した。自分の生き方が電線を増やした、という思考回路はなかったのだろうか。

母の依頼なので、彼女の希望を拝聴するのだが、賞を取った写真への執着がすごい。表表紙・裏表紙ともに受賞した花の写真だが、裏の写真を、表と同じ紙面いっぱいサイズに拡大してくれと言う。ぎゃふん。

(左)こう暑くちゃー、チンとしていられニャー   (右)遠州浜


5/5(月)
努力の度合いと、世間から認められる度合いは、比例しない。それどころか、SNSではバズりが起こりやすいようなアルゴリズムがかかっている。人が仲良く幸せに暮らすには、逆がいい。富める者がより多くを供出する、という考え方だ。しかし実際は、富める者が権力を握るから、富める者がより富みやすい世界のルールを作っていく。賢すぎる生き物は滅びやすい。
40代のころ不眠症だった。原因は自分だなと気づいた。試行錯誤したが、「得」と「楽(raku)」から遠ざかる生き方に舵を切ると、眠れるようになった。セールスの電話がかかってきてもポイントカードを勧められても、「得」しなくていいんです、と心から言えるようになってきた。
リンゴ農家とミカン農家さんが隣り合っていたとする。リンゴ1個100円、ミカン1個40円で販売しているとする。ミ「今年豊作だでミカン30個あげるからリンゴ10個ちょうだい」。リ「こないだ草刈りしてくれたから15個あげるよ」。市場に出荷するより「楽」で「得」だ。そんな楽得ならいいと思う。自分をおとしめる「楽」、誰かから奪う「得」をしないよう、気をつけたい。