子供はほめるべし。
ほめて育てるのがいい。
とにかく、なんでも、ほめる。
そう考えていた時期がありました。
きっと誰にでもあると思います。
しかし「ほめられてスクスク育つ」はずの子供たちが、なぜだか必ずしも健やかには育ちません。そんな事例をいくつも経験し、疑問を感じるようになりました。
なぜ「ほめられる → 100%スクスク」にならないのか?
その理由を、私はこんな風に考えました。
◆バイオリンが上手に弾けたとき「上手だね」とほめると、言葉と実態が一致するので、ほめ言葉が相手にすうっと入ってゆきます。
◆しかし上手に弾けていないのに「上手だね」とほめても、ほめられた側には違和感が発生します。
ほめられた側が、ほめ言葉を額面通りに受け取ってしまうと、「実態と評価が一致しない」状況に置かれます。これが常態化すると、どうなっていってしまうのでしょうか?
大人の生徒さんであれば、(おだててくれてるのかな)(上手になってないんだけど、まいっか)と受け流すことができます。しかし子供にはそうした術がありません。
子供&保護者さんは、バイオリンを習う以前に両者の関係性ができており、そのうえで私が先生としてかかわります。関係性を理解したり、ご家庭の教育方針を知ることは、バイオリンを教える上で必須です。
自分の意志で身銭を切ってやってくる大人は、バイオリンを教えることに集中すればいい。しかし、バイオリンを教えることに集中すればよいだけの子供はいません。子供を指導するとは、そういうことなのだと思います。
単に年齢特有の事情があるだけの場合もあります。しかし違和感のある状況に置かれて、心が足場を失っている子供もいます。
保護者さんと先生の連携した働きかけで、子供の心がよい方向へ変わっていったこともあれば、そうでないこともありました。
バイオリンを弾かなくなってしまう子供
ほめられすぎで一番起こりやすい症状は、バイオリンを弾かなくなってしまうことです。バイオリンがうまく弾けないところを、保護者さんに見せたくないのです。
最初の症状として、レッスンに保護者さんが同席するのをイヤがります。
小さな子供は、小学校の半ばくらいまで、保護者さんにくっついていたがるものです。ところが、バイオリンがうまく弾けないところを見られたくないあまり、同席をイヤがります。保護者さんが好きだからこそ、期待に応えることができていない自分を、見せたくないのです。
小学生の半ば以降に 同席をイヤがるのは、健全な反抗期(の症状のひとつ)ですが、それとは違います。
症状が進むと、バイオリンを弾くことをやめてしまいます。
弾けない自分を見せたくないのは、承認欲求を強く持っているとも言えます。
●お母さん大好き、いつも一緒にいたいのに、同席をイヤがる3歳の子供がいました。お母さんには、扉のガラス越しに見守ってもらいました。外に聞こえない小さな声で「どうしてイヤなの?」と聞いてみたら、「だってヘタなんだもの」。
●1人でレッスンを受けると言う5歳の子供がいました。店内に入ってくるところから、保護者さんがついてくるのを頑なに拒みました。弾けない自分を見せたくないのだ、と気づいたのですが、楽器店の生徒だったため、保護者さんとお話しすることができませんでした。
私が勤めていたT楽器店の契約書には、「生徒と先生は直接連絡を取ってはならない」「当店のバイオリンを売るべし」とありました。商売のために、生徒と先生の連絡を禁じるような教室を選ぶのは、やめませんか?
弾けない自分を見せたくない子供に、気をつけていること
♪ 大人(保護者さん・先生)の期待値を下げる
♪ 心が動いたときに、ほめる
♪ 子供ができていないことを隠そうとしても、気づかないフリをする
♪ 子供が、先生の顔色をうかがっても、反応しない
是か非かの返事を欲しがられても、「そうだね」など中立的な言葉でスルーする
子供が疑心暗鬼になっていると、本当によく弾けたときにほめても素直に受け取れません。子供が「できた!」と感じたときを見計らってほめます。症状が悪化していると「できた!」と自己評価するタイミングがなかなか来ませんが、信じて待ちます。
♪ 保護者さんが同席しない場合でも、外から中の様子がわかる場所にいてもらう。
小さな子供は、家では保護者さんに先生代わりになってもらわねば ならないので、レッスン内容を知っておいてもらう必要があります。バイオリンの上達のためには小学校高学年 以上でも、保護者さんがレッスンに同席し、家でサポートするのが本当はいいのです。プロを目指すような生徒は、中学生でも保護者さんが録画したりメモを取ったりしています。
しかし「バイオリンの上達」より「心の健康」が大事です。子供が保護者さんの同席を(健全に)イヤがったら、1人でレッスンを受けさせてあげましょう。
大人のためにバイオリンを弾く子供
自分がバイオリンを弾きたいからではなく、保護者さん(先生)のためにバイオリンを弾く子供がいます。保護者さんが好きなので、保護者さんが期待する姿になろうとするのです。
症状が進むと、自分がやりたいからやっていると思い込み、自らを偽っていることが本人にも分からなくなります。期待された子供が、課せられたことができる才能を持っていたときに、起こります。
このパターンの大変恐いところは、本人に自覚がなかったり、大人が見抜けなかったりすることです。
厳しすぎたり、一見うまく行っている親子関係(師弟関係)の中でも、起こることがあります。
大人は、なって欲しい子供の姿を思い描くとき、それが自分の欲望からきているのか本当に子供のためなのかを区別し、自分の欲望は手放さなければなりません。
気づいたときは、バイオリンを一旦止めるのもひとつの方法です。少なくともバイオリンに絡んだ不健全な関係は、リセットできます。
●1行弾くごとに、先生いまので良かった?と聞くようになった子供がいました。私の親指よかった?とか聞くのです。これはまずいー。先生の思い描く姿になってもらいたいんじゃなくて、君にバイオリンが上手になってもらいたいんだよ。とりあえず即、ああせい・こうせいと要求するのを、止めました。
●お母さんのためにバイオリンを弾いてるな、自分が弾きたいわけじゃないな、と感じていた子が、小学1年生の発表会のあとバイオリンをやめてしまったことがありました。
本人が、自分を欺くのに耐えられなくなったのでしょうか。バイオリンをやめずに親子関係・師弟関係を立て直せればもっと良かったのですが、先生の力量不足でした。健全に成長してくれることは、バイオリンが上手くなることより大事です。
自分への評価が、極端に高い子供
実際の力量より、自己評価が極端に高い子がいます。
ほめすぎなど、その子供への「肯定が過剰」すぎると、起こるのではないかと思います。バイオリンだけでなく、他の習い事や人間関係なども、同様の状態になります。
「過剰」と「適切」の見極めは大変難しいです。子供によっても違いますし、子供と保護者さんの組み合わせによっても違います。子供への接し方というのは本当に難しく、同じように接しても同じようには育ちません。
「できない事実に直面させない」という甘やかしも、子供をよく観察して、量を加減する必要があります。大人がさりげなく助けすぎると、できていないということに本人が気づけません。
ほどよく「直面させる」のは大変難しいです。厳しく育てようと思うと、直面させすぎて虐待に近づいてしまいます。それを恐れて直面させすぎないと、甘やかし過ぎになります。
バイオリンにおいて、実際の力量と本人の評価にバランスが取れているか、先生にはよく見えます。が、専門家でない保護者さんには分からないことがあります。
本人にしてみれば、「自分は弾ける」と思っていて弾けないのですから、バイオリンを習っていて楽しくないと思います。自己評価を、ちょうどよい塩梅まで下げるしか、楽になる方法はありません。
保護者さんから「違う習い事をしたいと言っている、やりたいことをやらせてあげたい」とお話しがあり、辞めてゆくこともあります。自分と親を欺くのが限界にくると、おこりがちな逃げ方です。そうなる前に、実際の力量=本人の評価となるよう、大人たちが工夫せねばなりません。
自己評価が極端に高い子供は、顕在意識では気づいていないケースと、自覚しているケースがあります。
気づいていない場合は、気づかせればいいことになります。これまでの経験では、それは簡単ではないのですが、すべきことはシンプルです。
♪ ほめること、肯定することを、減らす
♪ できないときに、大人が助けてしまわない
♪ できていない、という事実に、直面させる
バイオリンのレッスンにおいては、できていない小さな事柄を、具体的に沢山、淡々と示します。
●生徒に指番号を書かせようと先生が辛抱しているとき、指番号を書いてしまう保護者さんがおられます。
その子供が、どれくらいの難易度なら指番号が書けそうか、先生にはわかります。無理を強いているわけではないのです。バイオリンを弾いて欲しい、という親心から、助け舟を出してはいけません。本人が「できないから助けて」とも言っていないのに、書いてはだめです。
●「そんなにその曲がやりたいなら、耳コピーで弾いてみよう」とかわしたのに、保護者さんが楽譜を買ってしまったことがありました。
この子なら耳コピーで弾ける、楽譜を買って与えるのは甘やかし、先生はそう判断したのです。レッスン後にメールで連絡を取ったら、「買ってあげたら頑張ってくれると思った」そうです。気持ちは痛いほどよくわかります。
子供がやりたがる曲の楽譜を買ってあげるのは、子供の意欲を刺激できることもあれば、逆効果のこともあります。教本の曲から逃げたい子供に、好きな曲の楽譜を買ってあげても、現実から目を背けるだけになります。
自覚している子供の事例です。
●肯定が過剰で、全く子供を叱らない保護者さんがおられました。自分はすごく出来るんだ、なにをしても許されるんだ、そんなオーラを発している子供でした。
子供がいないとき保護者さんに、なぜ叱らないのか?聞いてみました。叱ることによる影響が怖い、ほめておけばなんとかなる、と自信なさげに答えてくださいました。子供のころ、心ない叱られ方をされて、傷ついた経験があったのかもしれません。
バイオリンへの自信と、実態が解離している自覚があり、実態を保護者さんに見せないために1人でレッスンに来るようになりました。
ある時もう弾かないと言って座ってしまいました。座ってバイオリンを弾くか、レッスンを終わりにするか、どちらか選び。と言っても、楽器を持ったまま座って動きません。バイオリンとは関係のない勝負を先生にいどんで、バイオリンを弾くことから逃れようと しているようでした。
このまま言いなりになると、この子のために良くない。と判断し、バイオリンを取りあげて片付けました。
どうすれば一番良かったのだろう。帰宅しても考えつづけ、気がつきました。働きかけが必要なのは、子供ではなく保護者さんだ! 残念ながら楽器店の教室だったため、母子はそのまま来なくなってしまいました。
自分への評価が、極端に低い子供
「ほめすぎ」から派生したものではないのですが、自分への評価が低い子も気になります。単純に自己評価が低いだけなら、普通に考えられる対処法でじっくり接していけば大丈夫です。
♪ せきたてない。期待しすぎない。 本人が「これならできる」と思えるレベルまで課題を下げる。もっと難しいことが出来るはず、と思っても、信じて待つ。
最近は、一見して分からないパターンの子供が増えています。
自分で選んだり決めたりしない。初めてのことを試さない。論点をずらそうとし、その場のコントロール権を握ろうとする。自分がさも できない子のように振る舞う。難しいことは(けして難しすぎないことでも)やらず、余裕をもって易しいことしかしない。
何日もよく観察していると、間違えたり失敗するリスクを避けてるんだな、とわかります。が、一見して何が起きているのか わからないことが多く、保護者さんですら はかりかねていることがあります。
♪子供が求めている以上のことはしない。子供が求めていることに対し、腹八分目をこころがける。
♪大人が代わりに決めない。 決めるよう子供から求められても、決めない。
♪何をするのか、大人から決められていない時間を作る。
♪論点をずらすことが目的の問いかけには反応しない、とりあわない。
●保護者さんが、「できないリスクを避けてるのかも」と感じとっている子供さんが、レッスンに連れてこられました。音楽が好きとのこと。弾けるレベルの曲を、指番号を並べただけ・弦により高さが違う・楽譜に起こして、渡しました。
喜んでバイオリンを弾く子供を見て、保護者さんは楽譜を買いました。次のレッスンで楽譜を見た私は、これは難しすぎる、と分かったのですが、つい保護者さんの心情に寄りそう言動をとってしまいました。子供は明らかに、その楽譜をスルーしようとしていました。
次その子がレッスンに来ることはありませんでしたが、あの保護者さんなら何がいけなかったのか気づけたと思います。
自己評価が高すぎる子供も、低すぎる子供も、発表会に出たがりません。「土俵に上がらなければ、評価されることもない」と分かっているのです。
残念なことに、「弾けない自分を見せたくない」パターン以外の事例で、子供の状況を改善させてあげられたことがありません。より重症なのだと思います。
自分の思い描く姿に、生徒を教育したい。そんな欲望を捨てきれず、よくない事態に拍車をかけてしまったこともあります。不作為に過ぎたことも。意気込みすぎて上手くいかなかったこともあります。
子供たちは1人1人違っていて、過去のレッスン経験がそのまま生かせることはありません。目を凝らして子供たちを観察し、最善のアプローチをこれからも模索していきたいと思います。