♫ 視覚という器官
五感のなかで視覚は、ダントツに脳の処理能力を喰う器官 です。視覚処理に脳を使ってしまうと、身体感覚に意識を割くことができません。いかに楽に楽譜を読むか、読むという作業を減らすかは、体のパフォーマンスを上げる重大なカギなのです。
視覚によらず、余計な作業は脳の空き容量を低下させ、バイオリンを弾くための真に必要なことができなくなります。
●今「ド」から「ミ」へ上がったときの音程はどう感じましたか? 少し低くなかったですか?
●3つ目の音符を弾いたとき、左親指をぐっと握ったのは、わかりましたか?
レッスンで生徒さんに声をかけたとき、こうしたことが認識できていないケースは大変に多いです。脳に空き容量がなければ、把握のしようがありません。現状どうなっているかを認識できて、はじめて「軌道修正」という行為ができます。
バイオリン上達のための練習は、よせてはかえす波のように、修正という作業の連続です。バイオリンを弾くとき、不鮮明な楽譜をがんばって読んだり、必要のない筋肉に力を入れる脳の余裕は、ないのです。
♫ なぜ暗譜するのか
発表会のとき「暗譜しなさい!」と先生に言われるのは、それくらい練習して当然でしょ!という意味もあろうかと思いますが、「読むという行為を減らすことによって、演奏のパフォーマンスの最大化を目指している」といえます。
私はレッスンでも暗譜の訓練を時々やりますが、それは脳の活性化につながるから。音楽の情報を耳からインプットする力が鍛えられるからです。
バイオリン曲のなかで最も過酷なジャンル、バイオリン協奏曲では、ほぼ全ての演奏家が譜面を置きません。リサイタルやカルテットなどでは置いていることが多いですが、あれはお守りがわり。または外部記憶装置として使っています。ほぼ暗譜に近いところまで弾きこみ、体のパフォーマンスを最大化できるレベルまで持っていっていることに、変わりありません。風で楽譜が飛んで行っても、平然と最期まで弾くでしょう。
♫ 日常生活でできること
バイオリンのための「眼」対策は、日常生活の過ごし方で できることも沢山 あります。現代社会は視覚の能力を下げるものにあふれていますが、特に気になるのはスマホとLEDです。
2020年秋に初めてスマホを持ちました。持ったからにはイロイロ楽しく使ってみようと思い、最初のころは日に1~2時間スマホ画面を見ていました。そうしたところ、「視る力」の急激な悪化を実感しました。
①至近距離
②自然光ではない
③電磁波に暴露する
④直線で仕切られた空間
⑤奥行がない
⑥(のに)妙にリアリティがある
そりゃ悪くなるよね!という条件が満載です。
③G4やWiFiの電波が、自分(の手にあるスマホ)をめがけて飛んでくる。脳みそも直撃。
④眼前の焦点が合った部分を「中心視野」といい、その外側のぼんやり見えているところを「周辺視野」といいます。中心視野と周辺視野はぼんやりとつながっていて、そうした視界のなかで私たちは生活しています。
読書や勉強のしすぎ、テレビの見すぎが眼に悪いと言われたのは、近距離であることに加え、中心視野のみにフォーカスした体・脳の使い方になるからでしょう。スマホはそれよりさらに、度がいっています。
⑤⑥も大変気がかりです。視覚には「奥行き知覚」という能力があり、それにより世界を立体的な質感で見ています。平面を立体的に見てしまうことで、私たちの脳はどうなっていくのでしょう。大変恐いことだと思います。
♫ 中心視野 と 周辺視野 の協調
オケで弾くときは 中心視野 と 周辺視野 の協調が必須です。中心視野で楽譜を見て、周辺視野で指揮者を見ます。指揮を見てない!と怒られる人は、周辺視野が使えていないのです。
①中心視野(楽譜)に焦点を合わせ、周辺視野で指揮者を見ているとき。ぼやけていますが、ぬいぐるみは見えています。楽譜を読みながら指揮も見たいときは、このように見ます。
②楽譜から指揮者へ焦点を移し、中心視野で指揮者を見ているとき。ぬいぐるみに焦点が合っています。
私も若いころ指揮を見ていない!と怒られ、周辺視野を使って指揮者を見る(①の状態を)練習をしました。訓練すれば誰でも、周辺視野で指揮者を見ることはできます。
中心視野と周辺視野が連続している眼の使い方を、日常生活でしていないと、治しにくいかもしれません。スマホばかり見ていると、こうした眼の使い方ができなくなってきます。
オケでは、2人で1つの譜面を見なければなりません。コロナで一斉に1人1本の譜面台になりましたが、プロは1年ほどで戻りました。
アマオケでも2022年、2人で1本に戻す動きがあるようです。コロナ下で入団した方が、2人で1本なんて知らなかった!私はそれでは弾けない!と退団してしまった悲劇も起きているようです。
プロオケでは、公式練習や本番では団所蔵の楽譜を使いますが、かなり大きなサイズのものを使っています。楽譜への書き込みは必要最小限、次回使わない情報は本番後に消します。
若い人が多いアマオケでは、1頁がA4サイズの楽譜も見かけます。また書き込みのしすぎで、雑多な情報に溢れすぎている楽譜もあります。弾くほうに脳の処理能力を回したかったら、少しでも視覚処理が減らせる譜面にしましょう。
オケピットの仕事は断る、というプロオケの方にも出会ったことがあります。オケピットの中での仕事は、暗闇の中ほのかな灯りで譜面を読まなければなりません。眼への負担は大きく、明るい舞台上より数倍疲れます。またオケピットで弾く演目はオペラやバレエなので、管弦楽曲より神経をすりへらします。
オケピットの中で使われる手元灯は、ゲージで明るさ加減を調節する必要があるため、蛍光灯は使えません。これまで主流だった白熱灯は、ただでさえ暑いオケピットを、さらに温めるという難点がありました。LEDで温度は解消されましたが、眼への刺激は一層過酷になっています。
♫ 蛍光灯や白熱灯からLEDへ
LEDの光源も、蛍光灯や白熱灯と比べ、眼に良くありません。最近は夜の巷にあふれている光は、ほとんどがLEDになりました。昼間のLEDより、夜の闇のなかのLED光が大変眼にこたえます。
楽器店のレッスンに向かう同志社前~松井山手の移動は、電動自転車を止めて電車に変えました。眼が辛いからです。自転車灯がLEDになり明るいのはとてもありがたいのですが、文明の利器は必ずしも便利なことばかりではありません。
コロナ直前に井手町へ移転したのですが、夜の街が暗いぶん、眠るときの外光の強さにはびっくりしています。
♫ メガネとの つきあい方
人に勧めてよいのか確証は得られていませんが、メガネはできるだけ使わないようにしています。私の眼は、視力は0.1以下で、乱視などの歪みが大きく、左右差があります。
裸眼では文字情報が読めず、何時間も小さな音符を読み続けなければならないオケ用に、特別な矯正メガネを作ってもらっています。このメガネは、着けたときに視野が歪むため、楽譜とパソコンを見るとき以外は使わないようにしています。
またこのメガネをかけて体を動かすと、違和感を感じます。左右を均衡に動かしにくくなり、バイオリンも弾きにくいのですが、楽譜を読まねばならないときは仕方なく着けます。
「ピンホールグラス(ピンホールメガネ)」をという視力を取り戻すためのグッズがあって、テレビを観るとき使うことにしています。
読書は裸眼です。疲れを感じたら、ハイ!そこまで!という体からのサインだと思って、読書はやめます。近距離を見るとき自分の右目と左目がかなり違うと感じますが、よいメガネ(の調整方法)には巡り合えていません。
メガネをできるだけ使わないのは、たとえば脚が動かないのに、杖や車いすなどの補助具を使わない、ということに似てはいないか。と思っています。
♫ 音楽は、眼か耳から入ってくる
楽譜を眼で読むか、音を耳で聴くかのインプットがないと、「バイオリンを弾く」というアウトプットはできません。鼻や口からは入力できません。レッスンでは常に「眼から入れる(読譜力)」「耳から入れる(耳コピー力)」2つの能力のバランスを見ており、バランスが悪いと感じる生徒には弱点を強化するメニューを考えます。
私はスズキメソードで育ったので、耳コピー力が高く、読譜力がありませんでした。昔のスズキで育った子は、多かれ少なかれそうでした。
昨今は、童謡・唱歌などシンプルで平坦なメロディを子供たちが耳に入れる機会が減り、いきなりポップでクールな曲を耳に浴びて育ちます。大人びた曲をなんとなくマネして弾けるのに、簡単なソルフェージュができない。そんな子供も増えています。
私が子供のころスズキメソードの教本には、模範演奏のレコードが付いていました。それを繰りかえし聴いて練習するよう指導されました。今はCDが付いています。スズキメソードのCDを聴いてマネする手法がベストとは言いませんが、模倣から入るのは、なにを学ぶにしても近道ではあります。科学でも、まず先人たちの功績をトレースします。
しかしスズキメソードのCDを聴いて真似するよう助言しても、取り組んでもらえないことがあります。子供にデジタル音源を聴かせたくない、など、理由がはっきりしている場合はいいのです。それぞれのご家庭での方針なので構いません。
スマホで検索して、ネットに上がっている別の音源を聴いてくる生徒さんもいます。保護者さんからそう伺って、ネット音源を検索して聴いてみたことがありますが、質の良いものには出会えませんでした。やはり聴くなら教本付録の音源がいいと思います。
理由がはっきりせず子供たちがCDを聴いていない場合は、レッスン時間を割いて聴かせることもあります。外部教室でしたらCDプレイヤーを担いで行くこともあります。