●大東流合氣柔術

身体の使い方を勉強するために「大東流合氣柔術(だいとうりゅう あいきじゅうじゅつ)」という古武術を習ったことがあります。会津藩の殿中の奥儀だったものを、編纂した技とされています。

バイオリンが弾ける体づくりを模索している時に、京田辺市にある道場のチラシがポスティングされたのです。文言を読み、これはまるで私が追求しているものと一緒じゃないか!と思いました。系譜が定かではなく流派も多い武術ですが、このサイトが分かりやすい  と思ったのでリンクしておきます。

腕力で打ち込まれたものを、徒手で受けて攻撃のエネルギーを「無力化」し、相手を投げたり押さえたりする。攻めるためではなく、護るための術です。殿中で使われた技だったからか座位の型が多く、先生と1対1で向かいあい、様々な腕の掴みあい方を学びました。

私が攻撃役で先生の腕をグイ!とおしても、先生がそれを受けると、まるで、ヌカミソのなかに腕をつっこんだかのようです。ヘニャッと体中の力がぬけて、こてんと転がされてしまいます。この「無力化」される感覚は、通常の力学の法則では説明ができません。
力で返されると ”なにおっ!” と反発したくなりますが、「無力化」されると戦意を失い、思わず笑いたくなります。

攻めを受ける練習は、「できた!」と思っても定着しません。もう一度同じようにやろうとしても、できない。「できた!」という経験を重ねるしかありません。できない経験を重ねてしまうと、できないんだと思ってしまうので、1回1回の練習の質が大切。そんなところもバイオリンにそっくりです。

先生からは「相手(の中)を見る」「眼で見ない」と繰りかえし言われました。私はこれが苦手で、「相手の中を見る」のは失礼なことに思えてしまうのです。でも先生にワザをかけられたとき、失礼とは感じません。

失礼に感じるのは、私に、日本人特有のメンタルが、変な形に歪んで こびりついている感がします。自分自身が楽に生きるために、この癖は、手放したいです。

●愛魂

大東流から足が遠のいて、のちに出会った「愛魂(あいき)」も、戦意を失い 思わず笑ってしまいたくなる護身の柔術です。愛魂は正式名を「冠光寺流柔術」と言い、物理学者の保江邦夫さんが日本各地で広めてきました。

カトリック教の修行に由来、”汝の敵を 愛せよ” というキリストの教えを柔術技法に活かして、合気に似た効果を生みだし、筋力や身体能力に劣る者が 優る者を制することができます。

氣を使い、攻撃を無力化する。
戦意が失われ、思わず笑ってしまう。
大東流合気柔術と同じでした。

●スポーツの体力

フィギュアスケートの羽生結弦選手は、仙台を拠点として試合に出ていたころ、当時4分30秒だったフリープログラムの終盤で、息が続かなくてバテていました。

当時の彼のコーチは、体力を強化すべく、スケートリンクをぐるぐると15分間 全力で滑る練習をさせていました。それは陸上競技2000m走の選手に、6000mを走らせているような違和感を感じました。2000mの選手は、2000mで最大のパフォーマンスが得られる力を、身につけるべきでは?

羽生選手は、2012年 東日本大震災の翌年カナダへ渡ります。2010年バンクーバーオリンピックで金メダルを取ったキム・ヨナのコーチ、ブライアン・オーサーに師事するためでした。そして体力そのものを強化したわけではないのに、4分30秒を滑り切れるようになりました。

ブライアン・オーサーは、羽生選手を指導することが決まったとき記者会見で、「エネルギーの使い方の問題だ」と答えています。体力や筋力ではない、と言うのです。

バイオリンを弾くエネルギーも、筋力的なものではありません。氣が関係しています。氣というと、特殊能力というイメージがありますが、エネルギーと言い換えれば納得できそうに感じてしまうのが不思議です。

氣もエネルギーも、雲をつかむようなものではなく、鍛えるメソッドがあります。武術にもバイオリンにも「型」があり、それに添って反復練習をすれば、誰でも出来るようになるのです。

●K先生の講習会

アレクサンダー・テクニークの先生から教えていただいた、武道の先生の講習会シリーズを、受講したことがあります。そのK先生は、相手の体に触れずに、相手の体を押したり引いたりできるのです。
20年前 気功を習っていた友人から、「背後から先生が(体に触れず)引っ張ると倒れてしまう」と聞いたことがありました。その時昼食のテーブルを囲んでいた同僚の誰もが、信じていなかったと思います。まさかそれを眼前で見る機会が訪れるとは思いもよりませんでした。

氣の使い方をどうやって学んだか?との質問に、「型」を追求した、と語っていました。例えば右手を、3D空間のどこに置くか、手首の角度をどうするか、とやってみせて説明してくれました。

そんなことで? 信じられない話でした。でもバイオリンに置きかえると納得がいきます。

K先生の講習会では、取り組み前に「礼をしたとき」と「礼をしないとき」の違いを、受講者は何度も検証させられました。
礼をしてからワザをかけると、かかり易くなるのです。
礼をしたあとだと、相手からワザをかけられても、倒されにくくなります。

●バイオリンレッスンの礼

4歳でバイオリンを始めたときから、レッスン前は「よろしくお願いします」と言って礼、レッスン後は「ありがとうございます」と言って礼をしてきました。何も考えなくても、体と口が勝手にそう動きます。ですから自分が先生になっても、子供には必ず礼をするよう指導します。大人も、特に初心者さんには礼をするよう教えます。

けれど、他の教室で習ってからやってきた経験者さんの多くは、しないことが自然のようです。経験者さんの多くがしないということは、そこまで指導した先生がしていない、ということになります。これに気づいたときは、少なからずショックでした。

自分が馬渕清香師匠に見てもらうときも、先生に礼をする雰囲気がないので、そういえば自分もしていないと気づきました。深山尚久のときもしなかったし、当然のことながらピエール・アモイヤル先生のレッスンでもしませんでした。秋芳洞室内楽セミナーでもしなかったぞ。

自分が教わるときは礼をしないくせに、教えるときは礼をしてしまう。まーなんと困った先生でしょう。(笑)

最近来ているビオラの大学生が、レッスンの前と後に、私とシンクロするように礼するのです。あまりの気持ちよさに感動してしまいました。子供のころスズキメソードでバイオリンを習っていたそうです。

礼は日本独特の挨拶です。西洋ではしません。バイオリンが上達してくると、西洋の先生に習ったり、西洋に出かけたりするようになります。そうなると、子供のときバイオリン教室で礼をしていても、音大へ進んでプロになるような人は、だんだんしなくなるのかもしれません。

礼をしないことが自然な経験者さんが多いと気づいて、レッスン前後の礼をしないよう敢えて気をつけていた時期もあります。しかし、

①私の身にはしみついてしまっている
②子供の生徒には、その習慣を伝えたい
③武道をするとき、礼をするかしないかで、結果が違ってくる
④アマオケでは練習の前と後に礼をすることが多い

といった理由により、自分のしたいように振る舞うことにしました。

教えなくても先生につられて礼をするようになる方も多いです。つられない方もいます。いずれでも構わないと思っています。

アマオケでは多くが、練習の前と後に礼をします。学校の授業のように全員立ち上がってしっかり礼するところもあれば、座ったままなんとなく挨拶をして始まるところもあります。
立ち上がって礼をすると、学校ぽくって、懐かしいような清々しいような。悪い気分ではありません。最近そういうアマオケが減ってきているのが残念です。