あけましておめでとうございます。本年もよろしくお願いいたします。
下の写真は、年末に伊勢神宮へ行ったときのもの。大木の右横にちっちゃな私がいます。
◆ ローカル経済
年始、京都市内へ買い物に出かけました。クラシック系の楽譜は、大阪梅田のササヤの品揃えが一番。ポピュラー曲集を探すときは、京都三条の十字屋へ行きます。
十字屋ビルの入り口で、お正月のノベルティグッズとして八つ橋をもらいました。久しぶりに食べた、懐かしい素朴な味。京都の楽器屋さんと、京都のお菓子やさんのコラボによる、特別パッケージ。よく見ると、ピアノにバイオリンのF字孔が付いています。
地域の事業者が手を取りあって、助けあって、自然にまわってゆく。経済ってそれくらいが丁度よいと思います。ガツガツ稼ごうと活動すると、ガンガン地球が壊れてゆく。
◆ 草木から作られた肌着
肌着は、綿や麻の自然素材のものにしています。30代のころ体調がすぐれなくて、少しでも体が楽になればと思ったのです。
できるだけオーガニック。できるだけフェアトレードを選びます。そうした製品は高いので、生地を買って縫うこともあります。足踏みミシンを踏んでいると、カタカタいう音に合わせて黄セキセイインコのミクが鳴きます。
自然や人権に配慮して作られた肌着や布は、そんじょそこらでは買えません。送料を払えばネットで買えるのですが、そこまでするのは贅沢な気がして、買える機会を待ちます。京都府井手町のオーガニック食品店「大西商店」が衣類も扱ってくれるようになり、今年の冬の靴下はそこで買いました。
京都市内で無印良品へ立ち寄ると、千円未満でオーガニックコットンと書いてある品が! えらい安いなあと思いつつ買ってみました。着てみると気持ち悪い。なぜだかよくわからないけど、気持ち悪い。化学繊維の肌着の気持ち悪さとも少し違います。
あとからオーガニック衣料のバイヤーさんに聞いたら、1%でもオーガニックコットンを使っていればそう表示しちゃうのだそうです。
◆ 京田辺のキンコヤカフェ
こういう出来事があったとき、思い出すのが京田辺のキンコヤカフェのサラダです。キンコヤカフェはオーガニック食材ではありません。でもここの生野菜のサラダは、おいしく食べれるのです。
オーナーのきんこさんがサラダを作っているのを見ていると、傷んだところを丁寧に除いて、丁寧に洗って、丁寧に水切りをして、丁寧にちぎって、こだわりながらお皿に盛ってゆきます。その作っている様子も、盛られた野菜たちも、見るからに美味しそう。
添加物入り食べもので寝込むことすらある私が、キンコヤのサラダを美味しく食べれるのは、物質的な理屈を超えた何かがあるからだと思います。そうとしか説明がつかない。
重度の食物アレルギーを克服した人が、「自分の体に一番合っていたのは、理屈で作られたアレルゲン除去食ではなく、気遣ってくれる人が作ったものだった」と書いているのに出会ったこともあります。
他のグローバルメーカーより多少マシだと思っている無印良品。麻のシャツは気に入っているだけに、肌着の一件は残念でした。でも商売を継続させるのに、カンペキに清廉潔白は難しいと思います。商売を継続できなければ、「本当にいいと思うものを提供する」ことすら出来なくなります。
無印良品のティッシュはいいです。柔軟剤や漂白剤、香料も入っていません。柔軟剤が入っていないティッシュを使いなれると、入っているティッシュが気持ちわるく感じます。
「大地の再生」 仲間で、家からティッシュを追放した人がいます。その家で何度か過ごしましたが、ティッシュが無いというのはとてつもなく不便で、自分には無理だと思いました。
◆ 動物由来の外着
天然素材で選ぼうとすると、肌着は植物由来のものが多いですが、外着(アウター)になると動物由来ものが増えます。
十字屋の帰りに通りかかったお店では、子羊の皮でできた前開きのロングベストを買いました。サンプル品の処分で安く、軽くて暖かくて着心地がよかったのです。
お店の方は「生後3カ月の子羊の皮なんですよ」と何度も言ってました。お客さまを喜ばせようと思って言ってるんだな、と分かるのですが、なんだか自分がものすごい人でなしのように思えました。気持ちよさに感謝しながら着たいと思います。
動物の皮は天の恵みです。これほど保温性の高い素材はありません。動物の命を奪うことから、どの国・地域でも階級の低い労働者の仕事とされてきましたが、むしろ逆ではないかと思います。
寒さをしのぐのに一番多く使われている素材は、動物の毛でしょう。皮ではなく毛と聞くと、殺してない、と思っていないでしょうか。最初に人間が利用した動物の毛はそうだと思います。命はいただかず毛だけいただく。毛は再生する。
けれど人間は、自分の都合がよいように自然を変えていくのに、罪悪感を持たないイキモノでした。
品種改良の進んだ羊は、脱走したら自然界では生きていけません。毛がガンガン生えてどんどん伸びてくるので、自らの体毛にくるまれて身動きが取れなくなり、体熱を放出できず死んでしまうそうです。
ダウンやグースと聞けば、鳥さんの羽をちょうだいして、羽はまた生えてくる。そんなイメージがあると思います。残念ながら人間は、羽はまた生えてくるから大丈夫だよねーという程度のいただきかたは、していません。弱い子は死んでしまう、そんなむしり取り方をします。
バイオリン・ビオラの弓の毛も、馬が生きたままではいただけません。尻尾をもらうということは馬を殺すということなのです。それで生計を立てている(家畜を飼う)人が、モンゴルやイタリアには いるのです。
シルクは、蚕を釜茹でにして、糸をちょうだいします。品種改良が進んだ蚕の食事は、化学飼料です。化学飼料で体ができあがっている蚕は、純然たる自然素材と言えるのでしょうか。桑の葉を食べる在来種の蚕は、絶滅寸前です。
安いシルクは手触りがまるで化学繊維です。桑の葉で育った蚕で織った布地とは、だいぶ違います。
綿も、品種や産地や紡ぎ方や織り方で、全然違う風合いの生地になります。ベタついた肌触りの綿もあれば、上質なリネンのような綿生地もあります。
麻と称される植物・織物の範囲はたいへん広く、大きなカテゴリによる呼び名でもリネン、ヘンプ、ジュートとあります。地球上の動植物を一番傷つけない、搾取しないで使っていける布素材は、麻だと思います。
◆ 自然素材は地球からの恵み
自然環境や、地球上の生き物を、まったく傷つけずに生きて行くことはできません。どんな生物もみな、何かを食べなければなりませんから。
ヒトは知恵がまわりすぎたため「富を貯めて増やす」という行為に過度に走り、賢さが足らなかったため自らの生息環境を破壊してきました。
グローバル化によって、現場と当事者の距離が遠すぎて、何が起きているか見えない。この見えないのがとても気持ち悪い。幼い頃からなぜかそういう感覚がありました。
お金を使うなら、動物たちが大切にされている牧場やメーカーの品を、買いたい。食べ物はそうしてきたけど、服も少しづつ、考えていきたいと思います。