2019年の「牛」体験につづき、豚と鶏の飼い方を勉強したくて、WWOOFerとして 暮らしの実験室 やさと農場 へ行ってきました。京都府井手町という人口密度がうすい地域に住んでいたことで、受け入れOKの判断となりました。
JR玉水駅から京都駅へ向かう在来線の車内、京都駅構内はそれなりの人混みでしたが、新幹線は1車両に10人もいない少なさ。帰省や旅行を控えてくれた人のおかげでした。

豚舎。木陰の下にあり住み心地よさそう。

田んぼの作業

土曜の夜に到着し、日曜日は5時から田んぼの作業です。
・去年の稲わらを堆肥にするための切り返し。
・刈払い機での草刈り。
・今年の田んぼの草取り。8月は受粉が始まっているので、田んぼの中には入らず、外周から手のとどく範囲でやります。

タニシの移動、なんてのもやりました。発生している田んぼから、いない田んぼへ移します。稲の生育に役立つ?のかと思いきや、担当のハディさん曰く「おいしいから増やそうと思って」。
関西で増えだして問題になっているジャンボタニシは、まだいないそうです。ジャンボタニシも、雑草がないと稲を食べますが、稲が大きく育っていて雑草があると、むしろ雑草を食べるそうです。


木津川市での田んぼの共同作業の影響で、無駄に細かく丁寧にやる癖がついてしまってるなぁと感じました。やさと農場のメンバーを見ていると、実に効率よく仕事しています。やらんでいいことはしない。楽をして、多くの収量を得るのは、いいことです。

虫や草を、生態系の仲間として排除しない農法は、楽ができる(はず)の手法です。化学物質をまくのは、あまりいいやり方ではないと思います。


農薬に反対している私に、父は、「お前は飢餓を知らないから」と言います。たしかにそれはそう。貧しい時代を知っている父は、農薬も原発も肯定しています。しかし私は、飢餓は天災ではなく人災のこともあると思います。そう思っていたら、歴史学者でそんな説を述べている方がおられました。
母は、「オーガニックとか言ってる人たちって、わたし正しいのよ、ってお高くとまってえらそう」と言いました。う~ん、これも反論できない。
畑仲間に両親のはなしをしたら、「あなたは正しい!(農薬をかけるのは間違ってる!)」と言ってくれました。私もそう思うのです。でも友人と母が話しても平行線になりそう。「わたしは正しい。あなたは間違ってる」のゆきつく先は戦争です。

「自分の説を相手に受けいれてもらうコト」と「争わないコト」のどちらかを選ばなければならないなら、後者がいいです。
「受けいれてもらえない状態」と「わたし間違ってないもん!」という気持ちをどう折り合わせるか。幼い頃からの私の課題です。


自然農法(自然栽培)はうまく行かない、という話をよく聞きます。それは、耕作放棄地で試みていることが、原因のひとつと思います。
自然の摂理に則った農法は、その土壌が健全であることを前提とした手法です。そうでない土地でピュアにやろうとしても無理があります。耕作放棄地は、作物の実りがいい土地より先に放棄された場所です。地磁気が悪い「ケガレチ」といえるでしょう。
いい土地は、いい土地ゆえに、農薬・肥料をまいてもそれを分解する能力が高い。だからどんな農法でも持続的にできてしまう。そんな側面もあると思います。

慣れないと眼がどこにあるかわからないのですが、彼らはすごくコッチを見てくれています。

豚のお世話

月曜日は、動物担当のイバさんと、念願の豚&鶏のお世話です。
餌やりとボロ(糞尿)出しが基本の仕事です。去年100頭の牛舎のボロ出しを経験しましたから、20頭の豚のうんちなどちょろいもんです。
という雰囲気を醸し出していた?からか、それとも親愛の情なのかは分かりませんが、初顔あわせで泥&糞まみれの鼻を袖にぺったん!とスタンプされました。豚はまっくろなので、眼がなれないとどこに顔があるかわかりません。それで鼻が接近してきても気づかなかったのです。

子豚たちは基本的に「びびり」です。知らない人(私)を見ると、居住スペースのいちばん遠いすみっこに慌てふためいて移動し、ひと固まりになります。そこから愛らしい顔を横1列にならべて、こっちをじーーっと見るのです。

バケツにエサを入れて持っていくとダッシュで前方に集まり、つぶらな瞳を横1列にならべてじーーっと私の顔を見あげます。
このあとどうなるのだろう?と思って、バケツを傾ける前に静止してみたら、前足を私に掛けようとしたので慌ててバケツを返しました。あのまま静止していたら、胸や顔面にひずめスタンプを多数喰らっていたと思います。
ちょっと箱にエサが入ると、子豚たちは下をむいて顔をつっこんで無我夢中で食べ始めるので、残りのエサは彼らの頭の上にふりかけることになります。

豚は、一番最後に産まれた子が、極端に小さいのだそうです。確かに、兄弟姉妹の単位で子豚たちは生活していましたが、その中には極端に小さな子が一匹いました。

豚舎も鶏舎も香ばしい匂いがします。臭いのは豚舎のボロ出しのときくらいでした。

100羽ほどのメスに、2羽のオスで、1つの群れ。

鶏のお世話

鶏は、ボリスブラウンという品種が500羽ほどいました。豚に会いたくてこの農場に来たのですが、鶏が思っていた以上にカワイイ! 私のイチオシ「カワイイ」は、採卵に怒って羽をふくらませた姿です。イバさん曰く「そこを言う人は初めてです」とのこと。

鳥は狭くて暗いところだと安心して卵を産むので、産卵箱は個室になっており、陽が入らないよう暖簾が掛かっています。ボリスブラウンは少し野生の本能が残っており、卵をあっためようと産卵箱にこもっている子がいます。採卵のときクチバシでつつかれて痛い思いをすることもあるそうです。

1単位およそ100羽の群れに対し、個室は7つほど用意されていますが、卵を抱きたい子のほうが多いのか、1部屋に何羽も入っていることがあります。2羽3羽はよくあることで、私の見た最高記録は5羽(下の写真)でした。3羽以上になると、温めているのは卵じゃなくて、自分の下にいる鶏になります。いいんでしょうか、それで。

<左>3羽入ってる(顔/尻尾/顔が見えている)と思い、中央の1羽を外へ出すと、<右>その下に2羽いた。3-1=4羽。

鶏のいる産卵箱から卵を採るには、鶏の下に手を入れるか、鶏を持ちあげてどかします。すると彼女らは目をみひらき、羽をふあ~っとふくらませ、キエーッと鳴いて威嚇します。
威嚇といっても恐くありません。産卵箱から出して地面に立たせると、「あれ?なんだっけな?」という顔をして、何事もなかったかのように歩きだします。
羽をふくらませた鶏のさわり心地があまりにもいいので、採卵後また抱っこして箱に戻してあげたりします。すいている部屋へ移してあげたりもします。
卵への執着度合いには個体差があります。持ち上げてどけても、腕によじ乗って入りなおそうとする子もいます。隣室へ移しても、「違うわ!」と戻ってくる子もいます。


100羽単位の各部屋には、産卵箱のほか、5~6台の餌箱、水のみ場、登って眠るためのハシゴのようなものがあります。
奈良の石上神宮(いそのかみじんぐう)の境内にいっぱいいる在来種の鶏たちも、昼間は地上を走り回っていましたが、夜は樹上で眠るそうです。

また1つの群れにオスが2羽づついます。オスがいると群れとして安定するそうです。仕事が終わってから、産卵箱のメスを順ぐりに抱っこしていたら、メスたちが騒ぎだしました。するとオスが「おい、そこの、なにしている?」という雰囲気でのしのしと近づいてきたので、身の危険を感じて退散しました。

鶏は、1日に1個(以下)しか卵を産みません。毎日1個づつ産んで、何個かたまったところで本人(本鳥?)が「よし!」と思えば抱きに入ります。だからどの卵も同じタイミングで孵ります。たまるまでは温めませんし、抱きに入るともう産みません。

鶏がおしくらまんじゅうしている個室には、卵がたくさん入っていることが多い。卵1~2個の産卵箱は人気がないように見えます。農場に置いてあった専門誌によれば、3ヶ月ほったらかしの卵を温めても雛がかえるそうです。卵というのはどれだけすごい食べものなのでしょう!

一般的な養鶏場では、鶏は歩いたり振りむいたりできない大きさのケージに、1羽づつ入れられています。
成長促進剤として抗生物質が投与されることが多いのですが、たっぷり処方されると糞の匂いもしないそうです。(保存料を食べ過ぎている人間のようです。)そうした鶏の死骸は、ほおっておいても自然に分解されず、カラスも食べにこないそうです。

野菜の出荷作業

火曜日と金曜日は、野菜セットの出荷作業があります。広報・会計などを担当しているイェジンさん、研修生のミッキーさん、WWOOFerの私は、ほかの作業に優先して、収穫・選別・梱包作業を行います。
まず畑担当のフナダさんの指示のもと、5時から畑で収穫作業。いつも不思議に思うのですが、北へ行くほど明け方 空が白むのが早くなります。
キュウリ、ししとう、エンサイ、ミニトマト、加工用トマトなどの収穫をさせてもらいました。ししとうやピーマンは背が低いので、だんだん姿勢がしんどくなります。

体への負荷、天候などのリスクを考えると、単一作物を栽培することで合理化を狙うスタイルより、2~3種類の野菜を作る方がいいように思います。日本の土地は起伏に富んでいて、平坦でないところが多く、1枚の畑でも場所が違えば土質が違っていたりします。野菜セットを直接販売するため多品種やるのは、それはそれでまた大変ですが、フナダさんは ”飽きない” そうです。

野菜セットは希望に応じて、卵のほか、豚肉も入れてもらえます。いま私が気に入っているのお肉はオルターの猪肉ですが、豚肉はやさと農場のものがこれまで食べたなかでいちばん美味しかったです。
2009年から6年間、自然栽培の農家さんから直接野菜セットを購入していたので、送る側になったのは面白い体験でした。

ブランコやハンモック。思い思いのところで遊び、休憩する。

畑のお手伝い

水曜日と木曜日は畑のお手伝いです。朝はニンジン、キャベツ、ハクサイの種おろしでした。ウネにはビニールシートが敷いてあり、それをどけて種をおろします。ビニールシートで地温が上がり、雑草の種・虫・病原菌が死ぬのだそうです。化学物質を使わない、太陽熱を利用した方法です。

ニンジンの種はほんらい、数ミリの長さの三日月型で、もさもさした毛が生えています。 そのため種どうしがくっついたり手にくっついたりして蒔きにくいのです。
やさと農場で使っている慣行農法のF1種は、丸くコーティングしてあり、手押しの種まき機を使うことが出来ました。いつもの私の作業のやり方だと、10倍以上の時間がかかります。手押し種まき機だと等間隔に種が落ちるので、初期の間引き作業のやりやすさも違ってきます。考えた人の知恵すごい。

種をおろしたあとは、強すぎる太陽光をさえぎる紗幕を、それぞれの種の特性に応じてします。ハクサイは嫌光性なので、二重に幕をしました。アブラナ科やウリ科の野菜は嫌光性です。
ニンジンは代表的な好光性の野菜です。ゴボウやレタスもそう。そして種がひとつでも発芽したら、徒長しないように幕は取ります。

翌日はミニトマトの芽かきと、誘引のつる下ろしをしました。芽かきをしないと、茂るほうへ株のエネルギーが行って、実りが落ちると言われます。実際1m以上の徒長枝もあちこちありましたが、赤い実がなっているのは主軸でした。日当たりや風通しも悪くなり、作業もしにくくなります。

農場のペットたち

やさと農場には畜産動物のほか、ペットの猫やヤギもいます。餌やりを忘れたり、体調の変化を見落としたりしないよう、担当が決まっています。
私の滞在中も、ネズミを捕る戦力になってもらう2匹の子猫がもらわれてきたり、ご近所さんから一時預かりの子ヤギのチーズがやってきました。この子たちの担当は、ハディさん&かおりさんご夫妻です。

チーズは、つながれている周囲に食べたい草がなくなると、メエ~ッ!メエ~ッ!と大きな声で鳴きます。そのたびにハディさんは作業の手を止めて、「はいはい、ちょっと待ってね」と言いながらチーズのところへ行きます。その姿はさながら、お父さん。
チーズの鳴き声も次第に、とーちゃ~ん!とーちゃ~ん!と聞こえるようになるから不思議です。
子ヤギも子猫2匹も女の子。1歳の子供も女の子。かおりさんも含めて5人の女性のため、せっせと働くハディさんなのでした。

一週間 暮らした家。「やさと農場」の初代メンバーが建てたそう。

農場での暮らし

農場にはクーラーがありません。断食道場ってありますが、ここは「汗かき道場」のようでした。暑さに弱いメンバーは、昼食後クーラーの効いた喫茶店へ避難してパソコン仕事をするなど、工夫してしのいでいました。「汗かき道場」は強制ではないのです。
姿が見えなくなっても、SNSなどを使って連絡しあってるようです。でもSNSをしないスタッフもいて、そこも強制ではありません。

ガンガン汗をかいて、汗で垢が自然にはがれおち、3日目くらいから体臭が変わってきました。これまで嗅いだことのない自分の匂いでしたが、けして悪い匂いではありません。ここの土地の微生物たちと、私の体に住んでいる微生物たちのハーモニーに感じられました。
おととし1週間滞在した牧場でも3日目から体臭が変わりましたが、それはイヤな匂いでした。添加物たっぷりの食卓だったのでしかたありません。自分の体で実験しているようで面白くもありました。元の体臭に戻るには数週間を要しました。


やさと農場では、休日もちゃんと取ります。
担当者が休みをとったら、ほかの人が代行します。そしてそれは、頼んだ人のやり方ではなく、頼まれた人が自身の考えに基づいて行います。だから稲刈りについて畑担当のフナダさんに尋ねても、その説明はまるで「田んぼ担当者」のようですし、鶏について話すハディさんはまるで「動物担当」です。

バケツに水をくんできて布巾をぬらすのか、布巾だけをぬらしてくるのか。たとえが簡単すぎですが、組織だったら「バケツに水をくんでくる」というマニュアルがあれば、その通りにやります。同じ仕事なら、人によってやり方が違ってはいけません。
しかしここでは、それぞれのやり方でやったらいいのです。メンバーは互いのやり方を実によく見ていますが、統一しようとはしません。
やさと農場では、「自分がそうしたいからしてる」という言葉を何度か聞きました。タニシの移動も「これは趣味です」とハディさんは言いました。

働く、休む、という区切りがハッキリしています。作業は必ず言われた時間に始まります。イバさんは昼食後リビングで昼寝をするのですが、2時になるとアラームもないのに むくっ!と起きます。会社員時代の自分を振りかえると、だらだら働いていたと感じます。なくていい仕事や規則もたくさんありました。

決まりごとがないのは仕事だけでなく、生活全般的にそうです。朝ごはんと夕ごはんは、各自てきとーに自分の分を用意します。昼ごはんは当番制で、人数分を作ります。自分が使ったものは片付ける、のは暗黙のルールなようで、人のものを片付けようとしたら ”しなくていい” と止められました。

ハディさんとチーズ

滞在中、炊事に不慣れなミッキーさんが昼食当番にデビューするとのことで、お手伝いを任されました。
農場の加工用トマトを使ったシチューと、ナスの味噌田楽を作りたいと言います。トマトシチューと味噌田楽は合わない気がするのと、たんぱく質が無いので、味噌田楽の代わりにジャガイモとゆで卵のサラダを提案しました。味噌田楽のメニューは翌日の昼食に繰りこされ、生オクラをすりおろしたとろろ汁、とき卵のスープを合わせました。

ミッキーさんは、「パラダイス酵母」という天然菌で炭酸ジュースを作っていました。私は梅ジュースを天然の炭酸水で割って飲むのが好きなので、分けてもらうことに。パン酵母としても使えるらしく試してみたいと思います。

農場ではいろんな虫に噛まれました。「汗かき道場」効果か、吹き出物もたくさん出ました。生態系のバランスが比較的とれていて、多種多様な虫がいます。「噛まれてかゆい」虫もたくさんおり、もはや「ここ噛んだの誰?」かは特定不可能です。体は、噛まれれば噛まれるほどかゆみへの鈍感さを会得するので、貢献してくれた虫たちに感謝するとしましょう。

屋内にセンサーライトもたくさんあり、WiFiも飛んでいましたが、しんどくありませんでした。地磁気が安定しているせいでしょう。そんな土地を「イヤシロチ」と言います。

前述の2009年から野菜セットを買っていた「あらき農園」がご近所さんで、しかもイバさんがその家を知ってるとのことで、連れて行ってくれました。
東日本大震災の直後に一度お電話したのを除いては、メールと年賀状だけのやりとり。現地を訪問できる日がくるとは、思いもよりませんでした。
家族経営で、畑、果樹、鶏がいます。鶏小屋には、ボリスブラウンと岡崎おうはんがいました。数と広さのバランス、産卵箱やハシゴがある点など、やさと農場と似ていました。

「あらき農園」を訪問した足で、そのまま京都へ。バスの便は1時間に1本なのですが、停留所に着くとバスが向こうからやってきました。なんということでしょう!

京都に帰る

井手町に帰ってきて、京都!暑い! と改めて思い知りました。できるだけ文明の利器に頼らない暮らしをしたいですが、やはりクーラーはいります。でも現在のように莫大な熱を放出する産業活動をしなければ、生活空間を冷やすためのクーラーは要らなかったはず。

初めて家にクーラーが来たとき、各家庭でそんなものを使ったら戸外が熱くなっちゃうじゃん!と子供心に思いました。その通りになってしまいました。
近所の道がどんどんコンクリート化されていくのを見て、そんなことしたら大地がおかしくなっちゃうじゃん!と思ったのですが、それもその通りになってしまいました。
自然環境の変化においては意外と先見の明があると、大人になってから自負できるようになったのですが、子供のころは「変な子だ」「へりくつをこねる」と言われていました。

2月に京田辺市から井手町へ引っ越して初めての長期留守。元々めったに遠出しないたちで、この暑さのなか、部屋や保存食品がご機嫌を損ねないか心配でした。出かける前に掃除機をかけ、水回りの掃除をし、ぶくぶくいってる梅ジュースのふたをゆるめておきました。
帰ってくると玄関ではビニールクロスなどの化学物質臭がしたものの、リビングは床にしきつめた杉材のかおりがふんわりして、家のご機嫌は良さそうでした。木と炭の威力はすごいです。
二羽のセキセイインコを預かってくれた京田辺の友人にも、感謝です。