※足を骨折した話は 足の骨折 顛末記

9/2(火)
奈良から井手町に時々遊びにきてくれる年下の友人。骨折でヒマしていた7月にも来てくれた。6歳の男の子と4歳の女の子、6歳の姪っ子の面倒をみながら仕事もしている。いつも大忙しだ。

あるとき言うことをきかない息子の前で、「うっ!苦しい!」と突然の仮病を装ってみたそうだ。彼はみるみる青ざめ半泣き状態に。一息ついてから「川みたいなのが見えた」と言ったら、「ママ!それは三角の川って言うんだよ!」「絶対渡っちゃダメなんだよ!」と絶叫。その後 彼がママの言うことをよく聞くようになったかは・・聞いていない。

9/14(日)
9月中旬に入っても連日猛暑。けれど庭からは涼しい風がふいてくる。そのワケは雑草。いつも大家さんの許容度をうかがいながら草を刈っているのだが、この7月からは骨折を理由に草を伸び放題にした。窓から差し込む太陽光線はきついのに、風がひんやりしているのは、奇妙な感覚だ。

日が暮れると虫たちの大合唱がはじまる。引っ越してきたばかりの一昨年の夏は無音だった。昨年の夏も数匹がかぼそく鳴いている程度だったが、今年の虫たちは元気いっぱい。

木や草が土壌から養分を得るには、微生物の働きがかかせない。有機肥料や、自然の枯葉や枯れ枝は、微生物が分解してはじめて、植物が吸収することができる。土が団粒構造で空気を含んでいると草木がよく育つのは、空気中の窒素を微生物たちが吸収できる形に変えるからだ。自然の残渣があり土がほこほことしていれば、土壌微生物たちは草木に十分な栄養を供給できる。

作物を植える前に草や残渣をゼロにするということは、微生物たちのごはんをゼロにするということ。そこに作物を植えても、作物に必要な栄養素はない。だから化学肥料が必要になる。バランスの取れた自然の摂理にもとづいた栄養素ではないから、虫がきて、農薬が必要になる。

草はまた夏の直射日光から土壌を守る。高温になりすぎないため微生物が死なず、水やりが少なくて済む。人が水やりしなくても、雑草はがんがんと生え、山の木は枯れない。(最近は枯れてるけど・・) それを不思議と思い、畑に応用できないか考えれば、発見できることだ。
草冬の雪や氷や冷気からも土壌を守る。低温になりすぎないため微生物が死なず、春になればすみやかに活動再開し、草木や作物に養分を供給する。草は水を吸うから雪解け水のどろどろ度もマシになる。

9/16(火)
「テレビという媒体は終焉を迎えつつある」との論考を見かける。数十年後にはもう無いだろう、という人もいる。私はそんなに早くは無くならないんじゃないか、と思っている。局数は淘汰されてゆくかもしれない。

骨折してヒマで、テレビを以前より観るようになった。ヴァーチャルな娯楽は中毒性があるから気をつけよう、と思っているが、今のところ大丈夫そうだ。4泊5日入院したとき、テレビは1時間100円だったので、退院時に自分が1日に何時間テレビを見ていたか分かった。2時間だった。
スマホも設定すれば、自分が1日にどれくらい操作しているか把握できる。私の場合7分だった。

NHK朝ドラと朝ドラ受け、たまに英会話、夜にドキュメンタリーやドラマやバラエティ番組を観る。こんなに民法のバラエティ番組を観ているのは人生初だ。CMは嘘ばっかりだなと思う。悪質なのもある。しかし、作り手が頑張ってるな、と感じるバラエティがあるのは発見だった。そうは言っても、ドキュメンタリーのように狙って観ることはない。

「有吉の壁」「上田と女が吠える夜」「踊るさんま御殿」「モニタリング」「学校かくれんぼ」あたりが、テレビを付けたときやっていたら観てしまうバラエティだ。(最後まで観ることはあまりないが)
「有吉」のネタは面白い。作家さんがいるのだろうか。芸人さんが考えているのだろうか。「上田」と「さんま」はやはりホストの力量が高いと思う。モニタリングはすぐ消すときもあるが、卓球の水谷選手の回は、彼の人柄がキュートで面白かった。

「学校かくれんぼ」「ティーチャーをさがせ」は、世代をまたいで楽しめるところが優れていると思う。最近めっきり会わなくパパと娘が一緒に見ても会話が成り立つ。テレビ番組もネット見逃し配信がある時代に、家族で集まって観れる番組は稀有だ。しかし内容に比して尺が長く、マンネリ化してきているのが残念だ。

いずれのバラエティも、チャンネルを変えさせまいとの浅はかな策を弄した編集は、やめたほうがいいと思う。私の場合、観続けるどころか、腹が立って消してしまう。枠を埋めるてるだけとしか思えない番組も多い。ない方がチャンネル(会社)の評価があがると思う。

9/17(水)
いつも金曜日、京田辺市へバイオリンを担いだ私を送ってくれていた大家さんが、腹痛を訴えて緊急入院した。12(金)に「来週からは電車で通います」「これまでありがとうございました」と切りのついたところで倒れるとは! 大腸に憩室(はれもの)ができて、食事療法と抗生物質の投与をするのだそう。

気温もやわらぎ、大家さん退院までに草刈りしとこうと庭に出たら、白いキノコがぽつぽつと! リハビリで歩行中いつも会うおじさんが教えてくれた 9/9の川沿いのキノコ と同じだろうか?

9/21(日)
大家さんのお見舞いにゆく。ヘアーサロンナカジマのせっちゃんが車を出してくれた。大家さんからの頼み事、ポストにあった郵便物と、図書館で借りた時代小説を持っていった。
時代小説好きなら既に読んでいるものとバッティングしたりしないかな、と思ったが、杞憂だった。大家さんは私が借りてきたラインナップを、奇妙な生き物でも見るかのようにホオ~と眺めた。渾身のセレクトなんですけど。。

 本売る日々 青山文平
 しぶちん 山崎豊子
 武家  山本周五郎テーマ・コレクション

オオタ工務店さんが台所の引き戸の不具合を直してくれた。オオタ工務店は京都府井手町の小さな会社で、なにか依頼するとすぐに対応してくれる。ついでに譜面台も直してもらってレッスンで使えるようになった。入院中の大家さんにもメッセージで報告。

10/2(木)
庭の草刈り中。ふと視線を感じて川沿いの道路へ目をやると、一匹の柴犬がこちらをジッと見ている。私が見返すと、柴犬はきちんとお座りした。
会話のはずんだ記憶のない飼い主のおじさんがボソボソッと言う。「いつもこの家の前で止まるんですよ」と。お名前はムギちゃんだそうな。ムギちゃんは更にくつろいでデロ~ンと地面に伸びてしまった。「非常に珍しいことです」とおじさんは驚いている。

銘木カフェ志木の柴犬ワビスケも、私に会うとはしゃいで飛びかかってくるが、ほかのお客さんにはしないそうだ。

川沿いをリハビリ散歩しているとワンちゃん達に沢山会うが、若い柴犬が多い。黒目がちな眼がかわいいテンちゃん。遠くまで行きたがるくせに疲れて動かなくなってしまうアズキちゃん。などなど。

10/5(日)
大沢たかおの出ている番組を2つ観た。1つ目は かわぐちかいじ原作「沈黙の艦隊」。たまたま付けたテレビで、最初はなにか分からずに観ていたが、途中で「沈黙の艦隊」かな?と思った。原作を読んだことはなし。

やまとの艦長のたたずまいがすごすぎる。思わずそのまま観てしまう。軍帽でほとんど顔が見えない。ほとんど喋らない。映るアングルがいつも一緒で、誰だかわからない。だいぶたってから大沢たかおと気づいた。顔がしもぶくれでお腹がぽっこり出ている。役作りのために付けたお肉だろうか。詰め物をしていると思いたい。

2つ目はNHKスペシャル未解決事件「松本清張と帝銀事件」(2022年の再放送)。内容をわかりやすく伝えるため一部ドラマ仕立てになっている。その松本清張の演技がすごい。これは冤罪じゃないか!と叫ぶところでは鳥肌が立った。松本清張その人がいた。テロップで確認すると大沢たかおだったが、最後まで誰かわからなかった。こんな短い尺のためにそこまで役作りするのか。

磯村勇斗という役者さんが壮絶な悪人を演じていた時期。「もしかして自分おかしくなりかけてる?」とふと思ったとき、監督から「ちょっとヤバイよ、戻ってこい」と言われたそうだ。
朝ドラの脚本家が軍国少女を演じた役者さんへ向けて「お辛かったでしょう」と言っていたが、ちょっと違うと思った。

10/7(火)
夕方オオタ工務店さんが、今度は玄関の引き戸を直しにきてくれた。引っ掛かっていたクギをひっこめ、余っていた材で取っ手をつけてくれた。いつも必要最小限の材料や時間で解決しようとしてくれる。山本博工務店とはえらい違いだ。

ノーベル生理学・医学賞を日本人が受けたとのニュースが流れている。免疫反応を抑える制御性T細胞を発見し、免疫抑制メカニズムの解明したとのこと。制御性T細胞の話は、2016年出版「あなたの体は9割が細菌」の第8章にも書かれている。①増やすことで過剰な免疫反応を抑えたり、②減らすことでガン細胞への攻撃を高めたり、できるかもと期待されている。

だが私は思う。ガンになってからの治療法を考えるより、ガンにならない手を打つほうがいいんじゃないか。ガンを誘発する物質を、私たちは食べたり塗ったりしている。それを全部やめたらどうだろう。
また、そもそも、過剰な免疫反応による病気が増えたのは、制御性T細胞のような働きをする細菌を、体から減らしたからだ。減らすものを食べたり塗ったりしなければ、自己免疫疾患はおさまる方向へゆくだろう。

10/17(金)
骨折して動けなかった時期、汐見商店の友人が貸してくれた大西つねきの本を返しに行った。腑に落ちる言葉がたくさんあった。その中のひとつ「命は守るためでなく使うためにある」。

弟は東京で弁護士をしており、市民を暴力団から守る訴訟の末席にも加わっているらしい。私はそれを知り心が動いた。弟の顧客は主に企業で、頭脳的に難しい仕事をこなしていることをガンバッテルなとは思えど、それ以上の感情はなかった。(私にとって弁護士とは中坊公平さんのような人)
彼が内なる欲求に導かれてその仕事をしているのなら、応援したい。

けれど母はこう言った。「危険な眼に遭わないか心配している」「逆恨みをかうようなことはしないで」

一見まっとうな意見だ。けれど私は思う。「他者のために働くより、自分の身の安全を優先する」生き方に充足感はあるのだろうか? 幸せだろうか? 楽しいだろうか?
母は、自分の不安を解消するために、子供を支配しようとする。昔からの悪い癖だ。

10/30(木)
井手町の友人Sちゃんに誘われて、京田辺のキンコヤカフェへ行ってきた。
2020年初春に井手町へ引っ越してからキンコヤへ行ったのは、2023年初春の一度きり。その時オーナーのキンコさんは、「あんた見たことあるけど誰やったかいな」と言ったのだ。(京田辺に住んでたとき常連さんやったのに) Sちゃんも1年以上空いてからキンコヤへ行ったら「あんた誰やったかいな」と言われたそう(常連さんやったのに)。

私はほぼ3年ぶり、Sちゃんも2年ぶりで、2人でクスクス笑いながら店に入ったのだが、予想に反して、「おう、あんたと、あんたかいな」という反応だった。キンコさんの脳みそは若返っていた。
カウンター奥の小さな黒板に書かれているランチメニューが増えている。魚ランチ、クリームコロッケなどは以前なかった。そのメニューの上には「お気づきの点がございましたら(改行)言わずに我慢してください。」みたいなことが書いてある。さすが。変わっていません。

Sちゃんは去年ステージ2のガンの放射線治療を受けた。その後遺症で味覚が戻らないため、食事ができずに苦しんでいる。味覚は1年で戻ると聞き、それを楽しみに治療に耐えたのだが、数割しか戻った感覚がないと言う。
お医者さん曰く「味覚が100%元通りになった前例はない」とのこと。医師が正確な説明を怠ったのか、Sちゃんが認識不足だったのか、それは分からない。

「治療を受けなかったらどうなっていたの?」と聞くと、「そんなこと聞いてない。こういう病状だから、こういう治療が必要です、と言われて、ハイと返事するしかなかった。」と言う。
ガン細胞・ガン腫瘍は誰の体にもある。大きくなれば見つかりやすく、小さければ見つからない。医師はガンに退場してもらうのが仕事だから、そりゃ「治療しましょう」と言うだろう。

私が骨折したと分かったとき気はかなり動転していたが、医師の説明を聞いて「この状態は手術が最善だ」と考えた。けれどそれでも尋ねた。「手術を受けないとどうなるでしょう?」
私の幸運は担当医が良かったことだ。先生はいつも誠実にお話してくださる方だった。あとから分かったことだが整形外科には5-6人の医師がいて、そんなことを聞く患者にはイヤな顔をしそうな先生もいた。