ルッキという馬毛を初めて張ったとき、その弾きやすさに驚きました。まるで弓を買い替えたようでした。勧めてくれた職人さんにそう伝えるも、同じことを言ってる人がいる、と言いました。
それまで弦や松脂をいろいろと試していたのですが、止めてしまいました。ルッキの衝撃に比べれば、弦や松脂の違いは無きに等しい、と思ったからです。肩当て・顎当てを探しつくし、自分なりの結論に辿り着いた時期とも重なりました。
(1)毛替えのタイミング
アマオケで弾いている方や、バイオリンの先生(レッスンプロ)は、半年に一度が多いと思います。演奏家(プレイヤー)になると数カ月に一度です。
レッスンで大人の初心者さんに毛替えをお勧めするのは、節約のため、習い始めて数年後になることもあります。毛替え後に弾きやすくなったと感じられないなら、まだ毛替えしなくて良かったともいえます。半年も経てば、総合的に弾きにくくなっているハズなので、毛替えしたら弾きやすくなったと感じる腕前を目指しましょう。
バイオリン・ビオラの毛替えのタイミングを、弓の毛のコンディションで判断するとすれば、以下の状況が考えられます。
①引っかかりにくい
弓の毛はそうそう摩耗しません。それに摩耗は徐々におこるので、引っかかりが悪くなった!という判断はなかなかできません。弾きにくくなったと感じたとき、それは引っかかりが悪くなったというより、②伸びたり ③黒ずんだり ④ばらついていることが多いと思います。
引っかかりの良し悪しは、松脂の量でも変わります。弓の毛がすべりやすいと感じたときは、松脂の量を増やしてみてください。
②伸びる
毛はだんだん伸びてきます。1本1本伸び方が違うためばらけてきます。ばらけると、それだけ弾きにくくなります。また、伸びることによるダイレクトな支障が2つあります。
●ネジをいっぱいまで巻いても、張りが十分ではなくなってくる
●スティックに対するボックスの位置が変わる(後ずさりする)ので、弓を保持しにくくなる。また小指がスティックからはみ出してネジに乗ると傷む。
③黒ずむ、黄ばむ
手で触れすぎると脂で黒ずみます。触らなくても年月がたつと、静電気が塵や垢をひきよせ、黒ずんだり黄ばんだりしてきます。黒ずんだり黄ばんだりすると松脂が乗らなくなり、弓がすべります。
④切れて量が減る、ばらつく、かたよる
弾くときに切ってしまう場合は、切れないような弾き方に変えましょう。また経年劣化でも切れやすくなります。しまっておいただけの弓の毛がボロボロになるのは、虫の卵が付いていたせいです。漂白が強すぎる毛も切れやすいです。
(2)毛替えの料金について
毛替えの作業をする人に近いほど、安くなります。楽器店に預けても、バイオリン工房の職人さんが下請けしています。
通常のグレードだと、バイオリン工房では5000円+税~が多く、楽器店では6000円+税~ です。(2020年現在)グレードが上がると値段差はさらに広がります。同じ弓の毛・同じ作業で、倍の値段が付いているのを見たこともあります。
ただ楽器店でも、腕のいい誠実な職人さん(社員さん)がいることがあります。バイオリン工房の職人さんも、腕がイマイチだったり、えらそうだったりすることがあります。
修理になると値段はぴんきりで、数倍違ってくることもあります。修理が必要になる前に、毛替えの時にかかりつけのバイオリン工房を探しておきましょう。
楽器店と工房、その他のお店(ネットショップ等)の違いについて詳しく知りたい方は、以下の記事をご覧ください。
2019.12.02 バイオリン・ビオラはどこで買ったらいいか
2023.03.08 楽器店とバイオリン工房 それぞれの利用の仕方
(3)馬毛の選び方
粗悪な馬毛(ばもう)は切れやすく消耗しやすいです。高い毛を選んだほうが結果的に節約になることもあります。
控えめな職人さんほど、グレードの高い毛を勧めません。楽器購入に際してもそうです。私が毛替えをしてもらった職人さんは3人おられますが、どなたも高いグレードの馬毛を積極的には勧めてくれません。上のグレードの馬毛に興味があるなら、自分から質問しましょう。
ルッキに惚れこんでいる私は、近場で取り扱っているバイオリン工房がなかったとき、豊中まで出向いていました。そこの職人さんに聞いてみたことがあります。「どうしてルッキを勧めないんですか?」「全てのお客さんがルッキにして良かった、と言ってくれるわけじゃないんだよ」というお返事でした。
私もルッキが品切れだったとき、仕方なくルッキと同グレード(同価格)の、ほかの毛を張ってみました。しかしそれはイマイチでした。グレードが高ければ弾きやすいと感じられるわけでもないんだな、と理解しました。
バイオリン・ビオラ・チェロの弓の毛は、基本的に同じラインナップから選びます。しかしチェロの友人によれば、バイオリンはこの3種類からだけど、チェロはこの2種類から選んでください、ということも過去にあったそうです。ルッキは引っかかりが粗い気がするので、チェロには向かないかもしれません。
コントラバスは、楽器の属がバイオリン・ビオラ・チェロたちとは違い、弓の毛も違います。
実はルッキより弾きやすい馬毛が関東にあります。今の弓を買ったときルッキより弾きやすかったのです。ルッキに毛替えして状態が落ちるなんて、初めての経験でした。なにが張ってあったのか問いあわせたのですが、分からなかったようです。残念です。
(4)バイオリン工房での毛替え作業
①仕入れた毛 > 使える毛
バイオリン工房で仕入れた毛束が、すべて使えるわけではありません。うねってる毛、太すぎる細すぎる毛、品質の悪そうなものを目で見てまびきます。良心的なバイオリン工房ほど、間引く基準が厳しくなるのは言うまでもありません。
人間の髪の毛も、馬の尻尾も、先へ行くほど細くなります。フルサイズの弓に必要な長さは70cmほど。長い尻尾であれば、70cmくらいまでは太さはさほど変わりませんが、中には伸びてる途中の毛もあります。70cmより手前で細くなっている毛は、まびかなければなりません。
分数バイオリンだと、必要な長さが短くなるため、短い尻尾の品種のおうまさんの毛が使われます。
通常は毛先を弓先にもってきます。が、職人さんもいろいろ研究されているようで、様々な意見があります。半分は逆方向にするのがいい(通常そう考えますよね)。と思ってやってみたら、何故か弾きにくくなった。半分ではなく数割を逆にするのがいい。などなど。
②張る毛の量
弓の毛の量をどのくらいにするかは職人さんごとの考えによります。これまでの毛替えで、多かったときと少なかったときを比べると、倍ほど違いました。
多めが一番弾きにくかったです。ヘッドに毛を押し込めるので、数日~数週間はティップの境目でぷつぷつと毛が切れていました。多いほど良心的との思い込みが職人さんに強かったからと思います。
少なめだったら良いのか、とも言えません。コストパフォーマンスを上げようと少なくする職人さんもいます。
真に使い手のための毛替えをしようとする職人さんは、弾きやすさを考えて量を決めます。ベストな量は、弓によって、弾く人によって、違います。
弓の毛が多いと、重心は先寄りに、少ないと元寄りになります。弓の重心の標準的な位置は決まっており、重心が先寄りになっている弓は、毛が少な目だと持ったとき軽く感じられます。また弓の毛が多いとスティックの腰が柔らかくなり、少ないと強くなります。
私が以前使っていた弓は、重心が先よりで、腰が強すぎました。いい弓はいい弓なんですけれど。職人さんはティップの中をできる限り軽くし、フロッグにチタンのかけらを入れてバランスを取ろうとしてくれました。弓の毛は多めでしたが、それでも腰は強かったですね~。
私がいま使っているバイオリン弓は、関東のビオラの先生が探してくれたものです。そのとき関西のバイオリン工房でも探してもらいましたが、満足の行くものがありませんでした。
職人さんが「モノ」として良いという弓と、先生/奏者が使ったときに弾きやすいと感じる弓は、必ずしも一致しません。弓はコレクションではなく道具ですから、弾きやすくてなんぼです。
手前の細長い木材は、弓の材料フェルナンブーコです。
③弓を預かる vs 預からない
バイオリン工房で毛替えを依頼するときは、事前に予約をして、1~2時間ほど待っているあいだに作業してもらいます。また依頼する側が希望すれば、一旦預けて後日受け取りにくることもできます。
少ないですが預りを基本としているバイオリン工房もあります。理由は
・馬毛は自然乾燥させたい
・おちついて作業したい
といったところだと思います。威厳を保つため?と感じた工房もありました。
毛替えのとき馬毛には水を含ませます。自然乾燥が一番いいのですが、その場でお客さんに持ち帰ってもらうためには、ドライヤーなどで乾かさなければなりません。もちろん職人さんたちは、熱風がスティックを直撃しないよう、効率よく乾くよう、温度や風の当て方を工夫しています。
乾いたあと、不揃いな毛を整えます。長すぎる毛や、質の悪い毛はカットします。バラついている毛は、下からアルコールランプの火であぶると、少し長めの垂れさがっている毛が縮みます。
乾かさないまま返されると、乾燥後の状態確認が為されないだけでなく、ケース内が湿気たり、毛に雑菌が繁殖しやすくなります。
預からないバイオリン工房の職人さんたちに、預からない理由を聞いてみました。「お客さんが困るやろ」「預かっている間、その弓で弾けない」「また来ないといけない」 どこも同じ答えでした。
弓を預けて買い物などに行き、数時間後に戻ってくるのも、いいかもしれません。でもバイオリン工房なんてたまにしか行かないので、職人さんの作業のやりかたを見て質問したり、工房の中のものを眺めたりして、そこで時間をつぶす方がお得(?)です。売り物のバイオリンを弾かせてもらえることもあります。作業中にあんまり話しかけると手元に集中できないので、気をつけましょう。
職人さんがおられない楽器店の場合、毛替えは預りです。預かるときに代わりの弓を貸してくれたりもします。預けるしか選択肢のないお店へ出すときは、どこで誰が毛替えをするのか、質問しましょう。質問されることで、お店側にも緊張感がでます。
④バイオリン工房による違い
楽器店は、売っているものや提供サービスが、どこへ行ってもだいたい同じです。しかしバイオリン工房では、それぞれの職人さんの得意なことに重点がおかれていたりします。
新作楽器を作るのが得意な工房もあれば、調整が得意、修繕が得意、毛替えが得意な工房もあるでしょう。楽器店とちがい、どこのバイオリン工房へ行ってもだいたい同じ、ということはありません。
京都市内には、楽器の製作だけを請け負っている工房があります。大阪市内には、楽器の調整に特化している工房もあります。
豊中市にはバロック弓の製作を得意としている工房もあります。新作楽器を作る工房はたくさんありますが、弓はあまりなく、さらにバロック弓となると更にありません。お客さんの要望・ご縁を大切にしているうちに、その分野が深堀りされたのだと思います。弓の材料フェルナンブーコの削りくずは、染め物に使えるので、そこへ行くといつももらってきます。
たくさんの種類の毛から選べるお店もありますが、馬毛はひと束うん十万円するので、経営規模の大きいところでないと多くの種類は用意できません。職人さんが1人でされているバイオリン工房は、たいてい並グレードと高グレードの2種類です。
経年劣化もあるので、小さなお店なのに沢山並んでいる場合、回転率の低そうな毛は選ばないほうがいいと思います。弦にも同じことが言えます。